Home > 家族 > 理不尽(9)。

理不尽(9)。

  • May 26th, 2011 (Thu) 23:58
  • 家族

200903GIFU119-1.jpg

葬祭場に入ってから、その初日をどのように終えたのか…..長い長い一日だったはずなのに、今となってはその記憶も断片的で曖昧です。なにしろ、昼食と夕食をどのように摂ったのか、まるで憶えていません。「そう言えば、どこで寝たんだっけ…..?」とカミさんに訊ねてみると、両親は祖母とともに葬祭場に泊まり、私は実家に戻って、そこで独りで寝たようでした。言われてみると、確かにそのとおりでした。

新築の葬祭場は、高級ホテル並みの宿泊設備を備えていました。母は最初からここに泊まるつもりでした。いっぽう父は、自宅に戻って眠りたいと言っていました。枕が変わると眠れなくなるような、そんな繊細な神経の持ち主ではありませんが、ここでは安らげないと思ったのでしょう。ただ、寒い時期でもありましたから、無用の移動で身体を冷やし、体調を崩されてはかなわないと思ったので、ここに泊まるよう、私は父に勧めたのでした。

それでは何故、私独りで実家に戻ったかというと、それはひとえに、実家で飼っている猫に、今晩と翌朝のエサを遣るためだったのでした。必要な荷物をピックアップするのも理由のひとつでしたが、それなら日中に葬祭場と実家とを行き来すればコト足ります。にも関わらず、私がわざわざ実家に戻った理由は、やはり猫のエサやり以外に見当たらないのでした。いま振り返ると、祖母に対して何とも薄情な選択でした。

また、カミさんと息子は、翌日の通夜から参加することにして、その夜は実家から20kmほど離れた私の自宅にとどまることになっていました。慌てて駆けつける必要は無い。それよりも、きちんと学校へ行ってお勉強をして、それが終わってからこちらに来なさい。そのほうが、ひいおばあちゃんも喜んでくれるはず…..それが、私の息子に対する父の言葉でした。

(あとで触れることになりますが、この時の選択を、私はずっと後悔することになるのです。)

翌18日が通夜。葬儀・告別式は翌々日の19日午後12時からと決まりました。声をかけるべき親類縁者は6件でした。ここに私たち家族を足し合わせても、総勢20名に届くことは無さそうでした。しかしそれでも、祭壇のこと、棺のこと、盛籠や供物や生花のこと、またその数量、お寺に納めるお布施、そしてお渡しするタイミング、通夜の料理や立飯のこと、火葬場はどこになるか?等々、限られた時間の中で、幾つものことを、慌ただしく決めなければなりませんでした。また、家族葬ゆえの面倒もありました。

そのひとつひとつを、齢七十の坂を2年も3年も越した父が「務めだから」と言いながら、葬祭場の方と打ち合わせを進めていました。私はその傍らで、父に代わってメモを取っていました。葬祭場の方が説明をして下さるなか、父は時折、「ボケとるから、よう聞いといてくれよ」と、私に幾度か注意を促しました。そのクセ、万事私に任せる、とは決して言いませんでした。

全て決まったわけではありませんでしたが、その日の打ち合わせが終わったのは、およそ夜の9時を回っていたかと思います。未明から病院に駆けつけていた両親にとっては、本当に長い一日だったはずです。

(つづく)

200903GIFU118.jpg

Comments:0

Comment Form
Remember personal info

Trackbacks:0

Trackback URL for this entry
http://memoranda.egoism.jp/blog/2011/05/%e7%90%86%e4%b8%8d%e5%b0%bd%ef%bc%88%ef%bc%99%ef%bc%89%e3%80%82.html/trackback
Listed below are links to weblogs that reference
理不尽(9)。 from memoranda

Home > 家族 > 理不尽(9)。

Spider
Recent Entries
Recent Comments
Archives
Categories
Now Playing
flickr Photostream
DSCF7851DSCF7849DSCF7848DSCF7846DSCF7844DSCF7840DSCF7839DSCF7853DSCF7833
TagClouds
Search
Feeds
Meta
Counter

Return to page top