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震災のあった日に。

  • January 25th, 2011 (Tue) 18:19
  • 家族

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尋常ならざるカメラマニアであるところの我が父の母、つまり父方の祖母が、1月17日の正午前、とうとう祖父のもとへと旅だって行きました。満99歳、数え年で101歳の大往生でした。その前日、前々日の土曜・日曜に仕事の入っていた私は、幸いにも17日に振替休日を頂いていました。父の急な呼び出しで病院に駆けつけ、その死に目に会うことができたのです。父と私と母の3人で見送りました。

本当に、本当に穏やかな最期でした。よく人伝に「眠るように…..」と聞くものですが、まさしくそのように穏やかな最期でした。

以前、「艶やかな幻覚」という連載に書いた祖母のことです。2008年の夏、当時は「もうダメかもしれぬ」と思ったのですが、その後、奇跡的に持ち直し、それどころか以前と変わりなく矍鑠(かくしゃく)とした祖母に復活したのでした。その後も小さなトラブルに遭いつつも、基本的には元気で健康に暮らしていたのでした。

そうした大難、小難を乗り越えるたび、私はこんなふうに思っていました。彼岸にいる祖父が、よほど祖母が来るのを拒んでいるか、もしくは本人の方が彼岸へ旅立つことを忘れてしまったか。認知症は進んでいましたが、家族のことは認識できており、会うたびいつも機嫌良く受け応えてくれたのでした。

今年の正月2日に家族で訪ねたときも、とても血色が良く、元気そうに過ごしていました。曾孫である私の息子が祖母の傍らに座り、彼のその手を取ったまま、ニコニコと微笑んでいました。秋が来れば満100歳を迎える。私たち家族の誰もが、「この様子なら全く問題ないだろう」と、疑いもなく確信していました。その矢先の急変でした。

客観的には大往生ですが、やはり寂しいものです。臨終に立ち会って下さったお医者様に「そばで呼びかけてあげて下さい」と促されたとき、それはつまり最期の時を告げられたに等しく、42歳のオッサンである私は、祖母の前でタダの「孫」に戻ってしまい、こぼれる涙を止めることができませんでした。齢70歳を越えた父は、涙ひとつ見せることなく、無言のままに祖母の手を両手に包んでいました。私は泣きながら、その父の背中をさすることしかできなかったのです。

その後のことは、とにもかくにもあっという間に過ぎて行きました。いつの日か、機会があればゆっくりと振り返ってみたいと思います。死んでなお、いろいろなことを教えてくれた祖母でした。生き切り、そして役目を果たして還って行った….そんなふうにしか思えないのです。

たった7人しかいない私の家族が、これでまた1人、欠けてしまいました。寂しくて仕方ないのですが、情け(があり、しかし)容赦の無い上司のおかげで仕事に向き合わざるを得ず、背筋をシャンと伸ばしているところです(笑)。

祖母が生まれたのは、後に関東大震災が起きた日でした。そして旅立って行ったのは、16年前に阪神・淡路大震災が起きた日なのです。さして意味のない符合ですが、この先もその日が来るたびに、私は祖母のことを思い出すのだろうと思うのです。

ご心配をおかけしました。もう大丈夫です(笑)。

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