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縁のある人(4)。

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ところで「縁のある人」という今回の記事は、彼女のことだけを書こうとしたのではありません。この題で私が書きたかったことを、最も象徴的・典型的に示してくれた者が彼女だったと言うことなのです。つまり、男でも女でも、あるいは人間では無く「モノ」であっても良いのです。要は、私自身に積極的な意志や行動が伴わずとも、ごく自然に私に繋がって来る人やモノのことを、「縁のある人」と括りたかったのです。

たとえば、もう数年来、愛用している手袋があります。黒い革製の、作りから言えば武骨なグローブのような手袋です。指先の内側など、左右ともすっかり中綿が取れてしまい、指先が直に革に触れるくらいまでにクタびれています。

この手袋、これまでにも幾度か無くしたことがありました。一度は実家で無くしました。数年前の正月休みのことです。どこをどのように探しても出てこないのです。他に思い当たるフシも無く、しかし皆目見当も付かず、そのまま時間切れで実家を離れざるを得ず、不承不承に引き上げたのでした。するとの翌日、洗濯物に紛れていたことが判明。見事に綺麗になって戻ってきたのでした。

二度目は羽田空港のターミナルでした。てっきり鞄に仕舞い込んだと思っていたのに無いのです。羽田から2時間の飛行の後、空港の駐車場に停めていた車に乗り込んでやっと気が付いたのです。さすがに今度はダメだろう…..と思いつつも、一縷の望みを託して羽田空港のお忘れ物センターに照会したところ、ほどなくして見つかり、これまた無事に返ってきたのでした。

そのほかにも数回、たとえば書店で本を立ち読みしたさい、平積みの雑誌のうえに置き忘れたり、差し込んだはずのコートのポケットから何かの拍子に落ちてしまったり、そんな具合に無くすことがあったのですが、そのたびに見つかっては舞い戻ってくるのです。

つい先だって、家族で近所の植物園に遊びに行ったおりのことです。今度はカミさんの手袋でした。家族3人、連れだって自転車で走りました。帰り際、カミさん愛用のミトンの手袋が、片方どこかに無くなった、と言います。植物園の中では無く、ここへ来る道すがらだと言います。

いままでの私なら、少なからずイラッと来ていたと思うのですが、今回はまるでそんな気が起こりませんでした。「縁があればきっと見つかる。」と、自然に脳がつぶやいていました。むしろ朗らかな心持ちでした。

そしてしばらく走ったところ…..住宅街の狭い路地に立つ電柱の傍らに、果たしてその手袋は落ちていました。「見つけた」と言うよりも、「良かった、また会えた。」という心地でした。

(つづく)

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