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続 使命感。

  • November 8th, 2010 (Mon) 23:51
  • 思惟

200903GIFU072.jpg

果たして未だに不貞寝の真っ最中なワケですが(苦笑)、そんななかに在りながらも、少しずつ軸足の置き場所を変えてみようと思っているのです。それは、今現在とこれから先の私自身のありように対して「運命」とか「宿命」といった言葉をあてがうのではなく、「使命感」という捉えかたをしてみたらどうだろう…..ということです。なんであれ、抱いた感情と真逆の方へと歩き出すほうが、新しい出来事に出会える確率はウンと上がるはずなのです。

およそ辞書には無い捩れた解釈かと思うのですが、「運命」とか「宿命」といった言葉を、私はこんなふうに捉えていました。「意志とは無関係に降りかかる事態に対して、抗うこと無く、身を委ねること」。しかしそれは単に流されるだけのことを言うのではなく、むしろ異物を受け容れ、咀嚼する構えと一体になった「強さ」を含み持つ態度でした。つまり、「受身の強味」です。

一方、「使命感」という言葉には、いつもどことなく胡散臭いものを感じ続けていました。

別に頼みもしないことを、独り善がりに押し付ける(もしくは「押し付けられる」)ような暑苦しさを感じていました。こちらに用も無いものを、「使命感」を盾に振り回されるのはたまったものではない。あるいは、客観的には有っても無くても良いものに、「使命感」という言葉をまぶさなければ、その存在を正当化できないものらしい。卑しい損得勘定をカモフラージュするのに「使命感」ほど使い勝手の良い言葉は無さそうだ。自分に向かって心に誓う言葉ではあっても、他人に向かって吐露する言葉では無いだろう…..。いずれにせよ、まるで良いイメージは無かったのでした。

しかし、私の中ではこれまで決して融け合うこと無く、むしろ両極に在ったはずの「運命・宿命」と「使命感」とが、なにゆえか結びついてしまいそうなのです。つまり、「他の人には決して勧められないけれど、あるいは、他の人にどう思われようとも、私自身はこのことを、止むに止まれずせざるを得ない」と思い続けられる態度のなかには、「運命・宿命」と「使命感」とが自ずと融け合っているように思えたのです。

(つづく)

200903GIFU073.jpg

Comments:2

hiro 10-11-09 (Tue) 20:08

あー!分かります。1枚目の写真!いつも撮りたくなるんですけどなかなかどうどうと撮れないのです(笑

mb 10-11-10 (Wed) 21:16

hiroさん、こんばんは。返信、遅くなってすみません。
コツは、
(1)いくぶん足を開き気味に立ち、
(2)約110°の角度に膝を落とし、
(3)脇をしっかりと締め、両の手でカメラを構えてシャッターを切る。
と言ったところでしょうか。
おそらく、誰も気にする人は居ないはずです。ぜひ、お試し下さい。きっと良い写真が撮れるはずです(笑)。

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