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泥縄。

  • November 17th, 2010 (Wed) 23:14
  • 思惟

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どっぷりと泥水に浸かり、ヌメる両手で縄を綯(な)う。転じて、いっこうに捗らず、のたうちまわりながら終わりの見えない仕事に追い立てられる様子を言うのだろう…..と思っていました。しかし正しくは「棒を捕まえてから捕縛のためのを綯う。転じて、後手後手に回ることやその場しのぎのことを言う」のだそうです。そのことを知ったのは、実はずいぶんと後になってからのことでした。

「いやぁ….もう泥縄でねぇ…..」と苦笑いしながらつぶやいたその男の顔を、私は今でも昨日のことのように思い出します。さほど近しい間柄では無かったのですが、何かの拍子にとあるプロジェクトを2人で進めるハメに陥ったのでした。同い年で誕生月も同じです。背格好も似たり寄ったりでしたが、彼はどこまでも社交的で外交的。私は徹底して内向的で、およそ性格的には真逆を向いていたわけです。

「なにごとにも首を突っ込み過ぎて、やがて首が回らなくなる。なのでいま泥縄で…..」と言うのが、半ば彼の口癖でした。実際、ホウボウから声がかかったり、あるいはかからぬ先から自らドンドン踏み込んで行くタチでしたから、彼が多忙であることは誰の眼にも明らかなのでした。

しかし、誰に対しても「いやぁ….もう泥縄でねぇ…..」を繰り返すので、いったい彼が心血を注いでいる仕事がどれなのか、もはや誰にも判らないのでした.おそらく、本人も判らなくなっていたに違いありません。おかげでそのプロジェクトも、気が付けば私ひとりで九割方を処理していたのでした。

もちろん、当時の私は文字通り「ヒマ」を画に描いたような暮らしをしていたので、そのプロジェクトも自力でこなすことができたのでした。幸か不幸か、いくらでも仕事が出来るくらいヒマなのでした。おまけに同時進行で複数の課題を抱え込むなど、到底、私の能力では処理しきれぬと解っていましたから、それはそれで調度良かったのでした。

しかし、そんな私の眼から見たとき、彼の多忙ぶりは同情にも値し、またその並列処理能力は羨望にも値していました。そんなとき、意味も知らぬ「泥縄」という言葉を彼の口から耳にして、泥濘(ぬかるみ)の只中で懸命に縄を綯う彼を想像してしまい、以来、私の中で「泥縄」とは、その画でしかありえなくなってしまったのでした。

あれから何年が過ぎたのでしょう…..。正しい意味を知りながらも、未だに私はその画を上書きすることができません。頼みもしないのに、いまの私自身が「泥縄」を綯っているからでしょうか。明日から火曜日まで、それぞれに用務の異なる出張を3箇所でこなさなければなりません。この歳になってようやく、しかしほんの少しだけ、彼の気持ちが判ったような気がするのです(苦笑)。

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