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蟻とネコ。

  • September 9th, 2010 (Thu) 22:54
  • 電視

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今の科学がどれほど進化していても、私たちは未だに虫一匹だって作ることができないでいる…..。たしか数年前に新聞で読んだと思うのですが、解剖学者の養老孟司先生が、そんなことを書いていたのを憶えています。既にある生命体を用いて再生産したり、あるいは遺伝子操作によって新たな種(?)を作り出すことはできるにせよ、まったくのゼロから新たな生命体を生み出す技術を人間は持ち合わせていない…..。

その記事を読んだとき、筋金入りの文系の私は、生命創成の技術を手にした未来を夢想しました。それは蟻で無くとも構いません。蜂でもミミズでもアメンボでもミジンコでも、あるいは砂粒ほどの甲虫でも良いのです。

しかし、厳しい自然環境に耐えられるほど強靭で、しかも精巧・細密、機能的で自律的に動きまわり、「電池切れ」とは別の位相で「終焉」を迎えるモノなど、果たして作れるものでしょうか? そもそも養老さんの問いは「モノ(=擬似虫)」を作ることに向けられたのでは無く、技術が「生命」を創造できないことの確認から始まったのでした。

これほど小さなものに生命が宿っている不思議…..小さな虫をじぃーっと眺めていると、何故私がこの虫では無く、「人間」として生きているのか、問わずにはいられない心地になります。あるいはこのさき生まれ変わるとして、必ずしも人間にさせてもらえず、小さな虫になることだってあるかも知れない…..だとすれば、いまこの虫が観ている世界を知りたくて仕方なくなることもあるのです。

たとえば集合住宅5階の自室のベランダから蟻を吹き飛ばしたら、その蟻は地面に落ちても生きているでしょうか。たぶん、フワリと軟着陸して、まるでなにごとも無かったかのように、チョコチョコと歩き始めることでしょう。

しかし、ベランダの手摺を歩くネコ(小林まこと『What’s Michael?』参照。巻不明)が足を滑らせてしまえば、そのネコは地面にたたきつけられて死んでしまいます。ならば、「蟻」と「ネコ」を極点に結ぶ線上のどこかに、生命体の生き死にを分け隔てる「重量」の境目があるはずです。

果たしてその境目は……と同時に、いまの人間のサイズのまま、周り(Χ)が一方的に巨大化した社会(つまり、蟻:人間 = 人間:Χ)があれば、そこは高層ビルから人間が落ちても死なない世界になるのだろうか…..と思ってしまうのです。まったく、子どもじみた妄想です(苦笑)。

一寸の虫にも五分の魂。そう言えば、昨年に観たNHKのドキュメンタリー…..南米奥地に暮らすヤノマミは、「人は死ぬと蟻になる」と言い伝えていたのでした。

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