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続 先祖の数。

  • July 15th, 2010 (Thu) 23:22
  • 思惟

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以前、このブログに「起源」という続き物(こちら)を書いたことがあります。調べてみると、2006年4月のことでした。「ルーツ」と言えば、あたかも一点に収束する何かのように思えるのですが、「私」を起点として私に連なる先祖を遡って行くと、それは収束するどころか、ますます拡散していくばかりになってしまう…..そんなことを書いたのでした(「続 続 起源。」参照)。

その時は、漠然とそのように思っていただけでした。祖父の代まで遡るだけで、私の中には都合6人(両親と二組の祖父母)の人間が棲んでいる…..この調子で計算すると、たった10代遡るだけで、累計で2,000人を超える人間が、私の中に暮らしていることになります。当然、10代どころか、さらにその前があるはずですから、その数はとてつもない数になるはずです。

もちろんこれは、「血縁のない間柄で婚姻が繰り返された場合」という、およそあり得ない前提を置いた場合だそうです。このあたりの考え方は、こちらの方のページが詳しいです。いずれにしても、10代前で最大累計が2,046人、20代前で1,048,574人になるようです。ちなみに、私は算数が苦手です。

「続 続 起源」という記事を書いたときには「遺伝子の寄木細工としての私」という言葉を使ったのですが、それはこうした発想からできるだけ宗教的な匂いを取り除きたかったからでした。私の関心は死生観や宗教にはありません。オカルトに興味があるわけでもありません。かと言って専門的な数学や生物学などのことは、まるで見当もつきません。

私の興味は、ひとりの人間の中にある、収拾のつかないほどの多様性にありました。それは私自身のことを考えても、そして子どもを見ていても感じることです。私の場合、自分自身よりも他人の方が遥かに信用に足る存在です。ことほど左様に我が身は信用なりません。とくにここ最近は、身体のあちこちに老化の波が押し寄せているようで、まるで思うに任せません。何かを欲しいと思ったり、やっぱり要らないと思ったり、サボりたいと思ったり、夢中になって没頭したり、職場では折り目正しく動きまわり、カミさんの前ではモノも言わずにのんべんだらりと過ごしていたり…..でも、それはすべて「私自身」なのでした。

あるいは子どもを見ていると、むろんそこに彼らしい気質を感じることはあります。しかし、果たしてそれは彼に固有のパーソナリティなのだろうか…..と考えると、そこには私や父や祖父に、あるいはカミさんやその親族に連なる何かがあります。また時として、彼にはおよそ実体験のないはずの記憶に、彼自身が突き動かされているのでは無かろうかと思える言動に出くわすことさえあります。たとえばそれは、彼が戦争に関わる映像に示す興味の強さであったりするのです。

(つづく)

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