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やじろべえ。

  • July 29th, 2010 (Thu) 23:29
  • 思惟

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最近の子どもたちは「やじろべえ」を作って遊んだりするのでしょうか…..と、自分で書いてみて、いささか驚いています。「やじろべえ」って言葉を頭に思い浮かべたのなんて、いったい何年ぶりのことだろう。ましてや実際に「やじろべえ」って書いたのなんて、絶えて無かったことだなぁ…..と。念のため、このブログ内を検索してみましたが、やはりひとつもありませんでした(笑)。

小洒落た西洋風の「モビール」に追いやられて、「やじろべえ」はすっかり影が薄くなってしまったのでしょうか? 判で押したような観光地の土産物屋か、巨大なショッピングモールの中の、模擬店のような懐古趣味的駄菓子屋で見かけるくらいが関の山…..。なんだかふと、自分で作ってみたくなりました。もちろん、竹ひごと木の玉で出来た、至ってシンプルな造りのもの…..。

ここ2年ほど、漠然と感覚していることがあります。「続 続 先祖の数」という記事で触れたこととも繋がるのですが、40歳を越え、厄年を過ぎたいま、ようやく私は「「生」よりも「死」の方に傾(かし)いで生きている」という自覚が芽生えたようなのです。

20代の頃、個人的に大好きだった著名人が、立て続けに亡くなって行くという経験をしました。オウム真理教の事件も、阪神・淡路大震災も、何事かを深く考えさせずにはおかないほどの重みを持っていました。しかし、いまこの年齢になって振り返ってみると、当時はまだ、そうした衝撃を抱えて深く沈み込めるだけの体力があったのだなぁ…..と思えます。

要するに、若かったのでした。うちひしがれた顔をしていながら、その実、体力的には何ら問題の無いところに…..むしろ溢れんばかりの生命力を抱え、我が身の生が消えることなど露ほども考えたことさえ無い…..。たぶん、それは30代の終わり頃まで続いていたのでした。

ところが、「もはや「生」よりも「死」の方に傾いでいる」という感覚は、身近な誰かであれ、あるいは会ったことさえ無く、またさほど関心も無い著名人であれ、その生老病死が報じられると、私を動揺させずにはおきません。「次はあなたの番だよ」と囁かれているような気になるのです。

「そう言えば、あの人は亡くなったのだっけ…..」と、いまや誰が闘病中で、誰が鬼籍に入ってしまったのか判らなくなるくらい、あまりにも多くの著名人がバタバタと倒れています。もうあんまり知りたくないなぁ…..。そのためだけでも、テレビやネットに触れたくなくないなぁ…..と思います。テレビやメディアにくっつき過ぎてしまった世代ゆえに、余計にそう思うのかも知れませんね。

極論ですが、もはや職業的な芸能人をつくることなどやめてしまって、すべてCGでまかなうようになってくれれば、こんな思いをしなくて済むのに…..とさえ思ってしまいます(苦笑)。

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