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やな雰囲気。

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めったに買わないカメラ雑誌ですが、先月号(5月号)の『日本カメラ』は個人的に気になる記事の多い号でした。小林紀晴さんによる金村修さんへのインタビュー記事「写真と生活 第5回」。厚い記述を丹念に読む楽しみがそこにありました。田園写真の特集も気がかりでした。都会に対する田舎、風景写真の一分野としての田園、消えゆく光景をつなぎとめる記録写真、社会問題としての農村、生活の場としての農村等々….。

そうしたステレオタイプやカテゴリーのいずれにも収めずに、「田園」を被写体としてねじ伏せることが可能かどうかを考えずにはいられませんでした。実際、農村ほど取り付く島の無い被写体は無いと思います。そこで写すべき対象を探している間は、物理的にシャッターを切ることは可能でも、それは決して「農村」を撮ったことにはならないだろうからです。もちろん、どこにも写りようのない「精神性」などを過大評価するつもりもありません。

さて、その他にも興味深かった記事は、「デジタルモノクロ」とでも総称できる傾向をフォローした記事でした。そのなかには森山さんによる口絵「TOKYO・築地」も数ページに渡って掲載され、またインタビューも収録してあったのでした。ズーム付きのGX200を使っていると書かれてありました。

当然、予想されたことですが、いよいよ森山さんもデジタルへの移行に本腰を入れはじめた様子です。常用の印画紙がなくなったことよりも、薬品が無くなったことの方がショックだったと書かれてありました。このあたり、素人には到底想像もできないことですが、「フィルムよりも、印画紙よりも、薬品がダメ押しした」という落とし方は、何とも理にかなっているように響きました。

しかし同時に、今のコンデジのスペックが、森山さんの要求水準を(100%満たすものでは無いにせよ)かなりの部分でクリアしているらしいこともインタビューから伝わってきました。こうなると、長いものに巻かれたい私としては、何とも困ったことになってしまうのです。

以前、PHOTOGRAPHICAの森山さん特集号で、カラーデジタルの写真が相当数の頁を割いて掲載されたとき、その意気込みとは裏腹に、私はその良さがまるで解りませんでした。ほぼ同時期に『北海道』を観ていたので、そのモノクロームにシビれていたことも理由ですが、それでもPHOTOGRAPHICAのカラーは『彼岸は廻る』のカラーには到底及ばないように(不遜にも)思っていました。

それが今回の『記録14号』を観た途端…..。なんだか、とっても響いてきたんです。特に、見開いたときに初めて判る表紙と裏表紙で一枚の写真が、です。

もはや今の時代、最終的なアウトプットが銀塩由来だろうがデジタル由来だろうが、本当に差が見えにくくなりました。私のように、フィルムで撮ったものをスキャナで読んで掲載するだけで終わっている者にとって、フィルムを使い続ける理由はどこにあるのでしょう…..。

見えにくくなったのではありません。コストの問題でもありません。保存性と閲覧性と使っている機械が理由で銀塩に軍配を挙げているだけです。悲しいのは、これ以外の積極的な屁理屈を、かつてはいっぱい抱えていたと思うのですが、いまやそれをまるっきり思い出せない、あるいは思い出そうとする気力さえ持てないでいることなのです(苦笑)。

なんだか、やな雰囲気なのです。

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