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続 正月の友人宅。

  • January 9th, 2010 (Sat) 23:13
  • 昔話

2009TMNUR007.jpg

間違いなく、すぐ近くまで辿り着いているはずでした。「目と鼻の先」と言っても良いくらいです。それらしき集合住宅に、幾つも見当を付けました。しかしアパート名が違っていたり、該当の部屋番号が無かったり。逆にアパート名が不明な建物もありましたが、明らかに所番地が違います。通りを挟んだ向かいには、新築間もない高層ビルがそびえています。私たちはそのビルの周囲の街区を、ひたすらウロウロと歩き回っていたのでした。

さすがに降参…..。最寄のコンビニ脇の公衆電話から「いったい、何処よ?」と遭難信号と救助要請の連絡を入れました。すると彼が指示した行き先は、あろうことか件の高層ビルのなかだったのでした。

あとで判ったことですが、その高層ビル、1Fから5Fまでは第三セクターによるコンベンションセンターで、巨大なホールを有する公共の施設だったのです。私たちがウロウロと歩いている間にも、裏手の荷物搬入口では巨大なトラックが出入りを繰り返していました。地上を歩いている限り、何処からどう見ても立派な公共施設であり、一般の住居があるなどとは到底思えないのです。しかし実際には、その6Fから上が分譲マンションになっていて、実に30階を超える高さを誇っているのでした。そんなものが「住居」に見えるはずがありません(笑)。

また、白状すれば、私と同い年の彼らが、いくら共稼ぎとは言え、そんな高層マンションに暮らしていようなどとは夢にも思っていませんでした。これは彼らの経済力を見くびって言うのではありません。同じような仕事に就いている私たちは、今月の互いの給料を千円単位の誤差で言い当てられるくらいの間柄…..。

にも関わらず、こうした環境で暮らすことを選んだ彼ら…..。既に2人の子どもを持ち、それまで田舎で独り暮らしていた彼女の母を呼び寄せて同居していると言います。それだけの人数がひとつ屋根の下で、しかも夫婦とも県境を越えての通勤をせざるを得ないわけですから、新幹線の駅に近いことは必須の条件なのでした。決して「贅沢」から来た何かではなく、彼らの必要が導いた住処(すみか)だったのです。

さらに白状すれば…..。私は学生時代と何ら変わらぬ目線で、彼らの住居を探していました。木造モルタル二階建、さもなければ、どれだけ高くとも5階までの文化住宅…..。要するに、学生時代の彼らの下宿に似た建物ばかりを探していたのです。

あとで振り返って、我ながら可笑して仕方ありませんでした。客観的には、私自身も家を建てたり、マンションを購ったりしても不思議では無い年齢でした。にも関わらず、私にもカミさんにも、まるでそんな自覚が無く、家を購うことの興味も無く、学生時代とさして変わらぬ感覚で暮らしていたのでした。その感覚を、未だ見ぬ彼らの暮らしのうえに、無意識のうちに応用していたのでした。

その訪問は、私にいろんなことを考えさせてくれました。しかし、考えさせてくれたものの、それがいまの私の暮らしに応用できているかと問えば、相変わらず学生気分のままに暮らしているような気もします。「団地萌え」のカミさんであることを良いことに、この先もしばらくは、築30年以上の文化住宅に居座るつもりなのでした。

(了)

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