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続 兄弟仁義。

  • December 13th, 2009 (Sun) 21:43
  • 家族

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おそらく、彼はこんな具合に現状に対して常に不平不満を抱きつつ、この先もずぅ〜っと過して行くのだろうなぁ…..と気の毒になります。わずかでも面白おかしく過ごせるよう、自分から相手に働きかけてみたり、あるいは自分が面白いと思うものをせっせと拵えてみたりすれば良かろうに…..。いずれ天からは何も降ってこないのですし、どうせ這いまわる地ベタなら、自分に都合よく均してみたら良いものを…..。

組織に使われるとか、他人のせいで思うように動けないとか、謂わば生きていれば当たり前に起こることに、いちいち腹を立てていたのでは持たないだろうと思うのです。もちろん、彼が言うには、そんな様子などおくびにも出さず、たいていの他人の前では素直で明るく好青年な彼なのだそうです。そして二言目には、「相手がお前だから安心して喋るのだ」と言います。

そんなお世辞が通じる私ではありませんし、どれだけ聴いても何ら生産性の無い話しに付き合えるほど私もヒマではありませんから、適当なところで切り上げたくなるものです。しかし、そうして半分以上を上の空で聞き流していても、どこかしら引っかかるものを覚えることがあるのです。

やはり血を分けた兄弟だからでしょうか、彼の愚痴を聴くたびに、「同じだなぁ…..」と思える瞬間に出くわすのです。つまり、置かれた状況に対して抱く感情的な反応や、その感情に根ざした思考パターンのありようが、なんら変わること無く、私の中にも在ることを自覚させられてしまうのです。

違いが有るとすれば、彼はそうした捩れや屈折をまるで屈託なく私に開陳するのに対して、私は周囲に漏らすこと無く押し込めてしまっている、ということでしょうか。あるいはそれを相互作用の問題だと考えるなら、彼には屈託なく話せる「私」という人間がおり、私は屈託なく話せる誰かを持っていないということかも知れません。

しかしそれはまた、個人の才能でもあります。彼には前後の見境なく愚痴をこぼせる才能があるいっぽう、私は世間体を気にするあまり、そうした才能を磨く機会を失ったとも言えるのです。いずれにせよ、彼と私の違いは口に出すか出さないかの違いだけであって、その内実はまるで同じだなぁ…..と思えるのでした。

18歳で実家を離れてから、そろそろ四半世紀が経とうとしています。その間、弟もいつの間にか30代の半ばを過ぎていました。離れて思い出す彼の顔は、いつも幼児の頃の顔なので、電話口から聴こえる彼の苦情の数々は、どうにもうまく符合しないまま、左の耳から右の耳へと抜けてしまうのです(苦笑)。

電話線を介して、新型インフルに懸らないことを祈るばかりなのでした。

(了)

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