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還る場所(6)。

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子どもの頃に見ていた実家の風景は、あるがままの自然な姿などではなく、祖父母を含めた村人の丹精が作りあげた風景だったのです。その担い手が、ひとり、またひとりと冥府へと旅立ち、跡を継ぐものとて無くなったいまは、当然の如く、「自然」が自らを取り戻そうとしているのです。しかし、「自然」が「自然」のままに復元して行くだけなら、まだ救われます。

なお悪いことに、高速道路から吐き出される粉塵や排気ガスは、あたり一面を煤で汚しています。私の実家とその周辺は、その煤でさえ、もはや自力で振り払う力を無くしているように思えます。もしかすると、実家のまわりの風景は、いままさに現在進行形で打ち棄てられつつあるのかも知れません。

しかし、懐かしい過去の光景を常に多重露光してしまう私にとって、この現実はあまりに辛い宣告です。その点、カミさんや子どもの方が、あるいはその実家で生活を営んでいる両親の方が、私よりもはるかに現実的かも知れません。実家をめぐる家族の会話のなかで、私の言葉はどこか的外れに素通りしてしまうのです。私の言葉が、あまりに情緒的で感傷的過ぎるらしいのです。

しかしここへ来て、私にもようやく、実家のある土地の現実が見えたような気がします。かつて、大勢の村人が作り上げた風景を取り戻そうにも、その人々は、いまやどこにも居ないのです。その後の世代も、誰も帰って来ていないのです。便利の良い他所に家を建て、マンションを購い、山も田も畑も、そして墓でさえも処分して、より条件の良い土地へと移動しているのでした。

誰ひとり隣人の居ない土地へ、私たち家族だけが戻ったところで、いったい何が出来るのでしょう。百姓としての基礎的な訓練を何ひとつ受けないままに成長し、既に二度目の成人式さえ過ぎてしまったのです。プランターでさえ世話をしたことのない私が、田んぼや畑など、出来ようはずがありません。にもかかわらず、ここは間違いなく私が還る場所なのです。

宮本常一の著作が私の琴線を震わせずにはおかない理由を探しているうちに、どうやらそれは、ブラウン管のなかの虚構に落涙するのと、さして変わらないらしいことに気が付いたのです。不幸なことに、そこに気が付いてしまったために、私は夢から覚めてしまったようなのです。

小林正樹監督の『怪談』(1964)という映画をご存知でしょうか。その第一話は、小泉八雲の『和解』を原作とした『黒髪』という短編です。そのラストシーンの只中に居るような気がするのです。

(了)

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