Home > 思惟 > 還る場所(5)。

還る場所(5)。

  • September 14th, 2009 (Mon) 18:03
  • 思惟

2008Matsue023.jpg

かつて祖父が丹精した山腹の小さな畑は、ここ10年ほどの間に、見事に竹藪になってしまいました。その畑と並ぶような場所にある荒神様のまわりは、落ち葉が降り積もったまま鬱蒼としています。そこはかつて、関西から帰省した子ども時代の私が、夏休みと冬休みにだけ出会うこの土地の友だちと、かくれんぼに興じた場所でした。綺麗に掃き清められた前庭に木洩れ日のさす美しい場所でした。それがいまや、見る影もありません。

人の手の入らなくなった山は、かつて苦労して切り開いた田圃や畑を、いともたやすく元の姿へと「復元」してしまいます。その切込隊長は、どうやら孟宗竹のようです。その後を追って蔓草が竹藪を絡め取り、それを枯らしたのち、満を持して広葉の落葉樹が進出する…..。何の根拠もないのですが、実家の周りの山を眺めていると、どうもそんな段取りで、山が元に戻りつつあるように思えるのです。

大叔母が健在であった頃…..あれはたしか、祖父の十七回忌であったと思います。その法事の折り、大叔母は私の実家(つまり、彼女にとっての生家)のまわりを見渡しながら、「山が降りてきよるなぁ…..」と、しみじみとつぶやいたのでした。いまから5年ほど前のことです(この大叔母のことは「祖父の妹」という記事に書きました)。

大叔母のその言葉を聞くまで、私は実家の回りの風景を、そんなふうに眺めたことはありませんでした。しかし「山が降りてきている」という、全く即物的な形容は、それまで漠然としか感覚できなかった私自身の異和感に、極めて明確な説明を与えてくれたのでした。それはつまり、この山がひとつの生命体として、ひとときも絶えることなく脈動している映像です。

実家のまわりの風景は、幼い頃に見たときのままに、いつでも私を迎えてくれるはずでした。いままでそんなことを疑ったこともなければ、考えたことさえありませんでした。しかし、幼い頃に私が見た風景は、実際には祖父の手が加わり、祖母の手が加わり、また隣近所で共に農業に勤しむ人々の手によって…..つまり、私の祖父母も含めた、その土地に暮らす多くの人々が、その生活の必要に従って作りあげた風景なのでした。

(つづく)

2008Matsue026.jpg

Comments:0

Comment Form
Remember personal info

Trackbacks:0

Trackback URL for this entry
http://memoranda.egoism.jp/blog/2009/09/%e9%82%84%e3%82%8b%e5%a0%b4%e6%89%80%ef%bc%88%ef%bc%95%ef%bc%89%e3%80%82.html/trackback
Listed below are links to weblogs that reference
還る場所(5)。 from memoranda

Home > 思惟 > 還る場所(5)。

Spider
Recent Entries
Recent Comments
Archives
Categories
Now Playing
flickr Photostream
DSCF7851DSCF7849DSCF7848DSCF7846DSCF7844DSCF7840DSCF7839DSCF7853DSCF7833
TagClouds
Search
Feeds
Meta
Counter

Return to page top