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棺桶くぐり。

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作家本人にとって、到底「決定稿」とは言えない作品を「遺作」と呼んで良いものか、いささかためらいを覚えます。後年になされた作品研究も、夫人による大幅な加筆…..ことによると「改稿」と言っても良い手入れがなされていたことを示唆しています。しかし、やはり「絶筆」には違いありません。 その発見のされ方がフロッピィであったことも、作品の特異性を浮き彫りにしました。安部公房の『飛ぶ男』です。

そのなかに、「棺桶くぐり」という言葉が出てきます。死んだと見せかけて莫大な借金をチャラにする、主人公の父親が幾度も繰り返している「荒技」の名前です。実際にそんなことがあるのだろうか……と調べたことがありました。おそらく、現実には有り得る話かと思いますが、その行為が「棺桶くぐり」という言葉として流通しているわけでは無さそうでした。やはり安部独特のレトリックなのでしょう。

さて、映画館で見損ねていた『おくりびと』を、先程、TBSの地上派初放映で観ました。理想的には、盆や暮の深夜、民放の地上波でコッソリ観るのが希望だったのですが、意外にその機会が早く巡ってきました。峰岸徹さんや山田辰夫さんなど、この作品からほどなくして亡くなった名優さんを見ていると、それだけで胸の詰まる思いがしました。

なかでも、独白にも似た笹野高史さんの台詞には…..。未見の方もいらっしゃるでしょうから、これ以上は控えますが、「死」が「門」であるという言葉に、諦念を乗り越えた希望を思わずにはいられませんでした。「また会おうの…..」という言葉に込められた万感の思いを、私もこれまで見送った身内や知人に対して抱いているのでした。

なんら特定の宗教を持たない私(実家は真言宗)ですが、現世の人との出会いは、すべからく過去に関わったことのある人々との邂逅では無いかと思えます。あるいは、そのように思いたい気持ちが、年齢を重ねるごとに強くなっています。極端に言えば、カミさんや息子と、いまここでこうして暮らしているなかにさえ、2人と私の間に「前世(本当は決して使いたくない言葉ですが、他に適当な単語が見当たらないので、仕方なく使います)」からの必然の繋がりを感じるのです。

晩年のブレッソンがNHKのインタビューに答えて「苦しみは恐れても良いけれど、死は決して恐れるべきではない。誰の前にも死が待ちかまえていて、そこからまた始まるのだから」という意味のことを言っていた記憶があります(インタビュアーは柏倉康夫さんでした)。当面、決して死にたくない私には、まだその言葉の意味を解することはできません。ただ、これから年老いて行くなかで、わずかずつでも、そうした心持ちに近付けるようになりたいものだと思うのです。

「棺桶くぐり」という安部のレトリックは、あまりにも世俗的で現世にこだわるあざとい行為を表す言葉ですが、そのあざとさを除いて考えれば、現実の死はすべからく、次の出会いに辿り着くための「棺桶くぐり」なのかも知れません。

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