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続 続 完全なる端末。

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3年前、「完全なる端末」「続 完全なる端末」という記事を書いたことがあります。仕事や生活に欠かせなくなったパソコンとOS、そしてソフトウェアを、一企業の思惑に振り回されて更新し続けざるを得ない、そのサイクルへの忌避感を書いたのでした。あわせて、「OSやアプリ、作ったデータの全てをネット上に置き、ハードウェアは「完全なる端末」として機能する方向へとシフトすれば、そんなサイクルから逃れられるのではないか」とも書きました。

もちろん、それは懸念を込めてのことです。つまり、機械やソフトの更新にかかるコストを避けられる代わりに、自分の一挙手一投足が、本人の意志とは関係なく、逐一漏らさずログとして外部に記録される懸念です。使用するOSやアプリ、作ったデータ、それを引き出すのに用いている端末の機種、それを何年何月何時何分何秒に動かしたのか、そのログは本人の与り知らぬところで、そして手続き次第でいくらでも第三者の閲覧を許す場所に集められているのではないか、という懸念です。

ことによると、本人よりも詳細な「記憶」が、「記録=ログ」として外部に屹立するわけです。AmazonやGoogleでお勧めの商品広告が表示され、そのあまりの符合に異和感を覚えた方もいらっしゃるかと思いますが、それはそのログが企業の「資産」として「有効活用(=監視)」されているからでしょう。しかもそれは「不特定多数からの情報」では無く、「確実に特定できる多数」からの情報なのです。

テクノロジーの…..仮にそれを「進歩」と呼べば、の話ですが…..進歩に対して、私はいつもこうした懸念を抱えてきたように思います(参考記事:正しい過ちちでじ?)。そんな調子ですから、未だに携帯電話を持つ気になれないのかも知れません。

デジタルカメラに対する不信感も、その画質や保存性やバッテリー問題云々以前に、撮影した位置情報が記録されることへの忌避感に由来します。カーナビやETCなど論外。地デジへの移行に積極的になれないのも、私自身の視聴行動を逐一捕捉される気がするからでしょうか。

自転車にGPSを取り付け、走行した距離とコースとを記録し、そのログを楽しんでいる方もいらっしゃいます。その気持ちは充分に判るのですが、それを世間に公開するとなると、それは全く別の話に思えてきます。とてもそんな勇気は持てそうにありません。

しかし何事であれ、本人にログを公開する意図が無くとも、それは本人さえアクセスできない場所に保管され、しっかり第三者に閲覧されているのだろうと思うのです。むしろ、そうした機材を持とうとしないこと自体、なにか後ろめたいものをにおわせてしまいます。いまの時代、個人のログが残らずに済んでいるものは、「選挙で誰に投票したか?」という、「投票者と被選挙人との対応関係」だけなのかも知れません(それも怪しい?)

もちろん、そんな懸念があるのなら、ブログというシステムこそ、最も近付いてはならない仕組みのはずです(苦笑)。ですから、所詮、私の懸念もその程度のもので、それが故に夜も眠れなくなるほどでは無いのでした。

Google Chrome OS。当然予想された、そして期待された「進歩」の方向に思えます。ただ、どうにも薄ら寒いものを感じてしまうのです。未だ犯していない罪を今のうちから免れようとしているような、なんとも妙な心地なのでした(笑)。

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