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放送禁止。

  • July 3rd, 2009 (Fri) 22:21
  • 電視

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今週日曜日の日経新聞、その文化面に作家の貴志祐介さんが寄稿していました。「偽ドキュメンタリーの真実」というタイトルでした。作り物に満足できない観客が増えるなか、ことさらに映像刺激を強めてしまうと、むしろ作品の虚構性が露呈してしまい、かえって客離れをもたらしてしまう。残された戦略はリアリティの追求であり、その可能性をフェイク・ドキュメンタリーの手法に見出そうとするものでした。

代表的な映画作品として『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』(1999)や、『ノロイ』(2005)、テレビドラマではフジテレビが不定期に放送したという『放送禁止』を挙げています。大いに興味をそそられるのですが、残念なことに、私はどれも未見なのでした。

しかし、「リアリティを追い求めることが、むしろ訴求力のある虚構を生む」という貴志さんの主張は、なんだかとても腑に落ちるものでした。もともと私は低予算で作られた、マイナーでアングラな映像を好むところがあります。たとえば、『世にも奇妙な物語』も良いのですが、その前身の『奇妙な出来事』の方が好きなのでした。

およそ見たことも無い俳優さんが登場し、BGMもほとんど流れず、タイアップのサントラはおろか主題歌さえ存在しない…..そんなドラマが現れることを、もはや到底、期待できない時代に居ます(すくなくも、ゴールデンタイムでは)。主役はともかく、共演者が映し出される秒数の積算に、事務所間のパワーバランスを感覚してしまうことくらい、興醒めなことはありません。

いつの頃からか、訴求力のあるドラマに出会えることを、どこかで諦めてしまった私が居るようです。単に年齢のせいかと思っていましたが、どうやらそれだけが理由では無さそうです。虚構の文法が臨界点に達しているにも関わらず、相変わらずの手法がまかり通っていることと、そこにある種の縮小再生産を見ざるを得ない、そんな閉塞感に襲われるのです。

現実の世界で抱える息苦しさを、いっとき解放してくれるのが「虚構」だったはずでした。それがいまや、虚構ゆえの閉塞感を、リアリティの追求によって解放しようというのですから、これを倒錯と言わずして…..。

先週末の土曜日、たまたまかけていた民放のFMが、今週の歌謡曲ランキングを発表していました。ひとつひとつの曲紹介に、すべて「○○のドラマ主題歌」という説明が付いていたことに、なんともやるせない心地になりました。メディアミックスの商法が、終わりを告げてくれる日は来るのでしょうか…..? あるいは「とっくの昔に終わっているよ」と認識しても良いのでしょうか…..?

謎は解けないままなのでした(笑)。

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Comments:2

hiro 09-07-09 (Thu) 13:40

ノンフィクションとフィクションとは分かり易く明確に区別されている事で安心感を覚えます。だから僕はドラマは時代劇だけです。メディアが機能し得るのは収益を確保できるからで、収益を確保し易いこと程、露出も多い事を忘れてはならないですよね。換言して、余剰利益でボランティア的に低収益性の情報「も」流してくれる…と言うと偏屈と言われそうですが…。でも、本当に真実であるべきニュースの一つ一つにまでその構造が浸透してやしないかと勘ぐってしまう事もあります。何かの終わり(3)に書かれていた『「世論調査の結果は信用できると思うか?」と問う世論調査』にも通じますね。フェイク・ドキュメンタリーはニュースのような顔をして既に存在してたりして…。普段、そんな窮屈に考えてはないんですが…mbさんの文章を読むと自分の深層を省みる事屡々です。ただ、電気自動車、での「微妙に外の景色への視界を遮ったり、他に道が無いと思い込ませる」ほど迄、この件に対して僕は懐疑的でもないです。HVは現状必然と…そう思うのは血、否…、地でしょうかね…なんて。。。

mb 09-07-09 (Thu) 19:23

hiroさん、こんばんは。ずいぶんと暑くなってきました。さながら蒸し風呂のような状態です。そちらはいかがでしょうか?
たとえば、スポーツニュースなどで、プロ野球の試合結果を球場ごとに見せるコーナーがありますが、観客の入りが少ない時には全景を映さないようにする「配慮」が伺えます。もちろん「歓声」は編集段階で被せた「音響効果」であって、実際の球場のものでは無いでしょう。政治家のコメントが伝えられる時も、言葉尻を捕まえるのに都合の良い箇所だけを切り貼りしているように見えることがあります。「フェイク」とまでは言えないにせよ、既にニュースに真実を見ることは難しく、受け手の情報収集力と判断力でしかないのかなぁ…..と思えます。しかし、現実には相当に難しい….。
「取材された側」の声に、メディア以外の回路を通してアクセスできるはずの時代だと思いますが、意外にそうした情報に辿り着くことが出来ていません。記者会見場で、取材される側が取材する側を映した映像を見かけることも、ほとんどありません。その映像が流布するだけで、マスコミ対する信用やイメージは、大きく揺らいでくれるだろうと思うのですが、不思議とそうした情報はYouTubeにも見当たらないですね…..。メディアのリコピーはゴマンとありますが……。
会見での質疑を映した映像を見ていると、記者からの質問の多くはテロップで「Q:××××……」表示されるだけです。もちろん、時間の節約のためにカットしているだけでしょうが、その記者の口調やトーン、声から透けて見える態度など、そうした生々しさが全て濾過されてしまっています。「受け応え」とは、生身の人間相手のものですから、当然、質問者の口調や態度に誘導された「応える側の態度」があるはずですが、その「関係性」の一切を隠蔽している報道は、やはり「作り物」と思わざるを得ない心地なのです。
マスコミ=ファストフードだとすれば、情報に対してどれほど自炊の手間をかけるかにかかっているのかも知れませんね。
HVに関しては……「微妙に外の景色への視界を遮ったり、他に道が無いと思い込ませる」と「他律的に操作されている」と言うトーンで書いてしまいましたが、むしろ「自ら率先して思い込んでいる」と書いた方が良かったかも知れませんね(笑)。

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