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年始の客(9)。

  • April 28th, 2009 (Tue) 19:35
  • 思惟

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不幸な出来事を目の当たりにした彼女は、出来ることなら早く子どもを持ちたいと思うようになった、と言いました。血縁のある彼女にとって、叔父を襲った病は、決して他人事では無いのだと言います。そんな思いからか、元気なうちに子どもを持ち、育てておきたいと、強く思うようになったのだそうです。

無論、それは結婚に対して愚図愚図している彼に当てつけた言葉ではありません。すくなくも、私はそのように理解しました。この哀しい出来事をきっかけに、彼が結婚への歩みをはじめたのなら、彼女はむしろその軽薄を叱ったことでしょう。

「出来るだけ早く子どもを持ちたい」という彼女の願いは、彼との結婚を願う気持ちとは別の次元に在るように思えました。放っておけば開いて行くいっぽうの、未来の我が子との年齢差を、出来ることなら最短にとどめておきたい。そうして元気なうちに子どもを育て、その成人した姿を見届けたい。自分が若ければ若いほど、その先の楽しみに出会える機会も増えるのです。

時計の針は、既に深夜の0時を回ろうとしていました。午後8時頃に訪ねてきて、ほとんど飲まず食わずのまま、話し続けていたのです。彼女には、少しだけ安心した表情が見受けられました。彼の方には、困惑を取り繕い損なったような笑顔が見受けられました。それでも寄り添いながら立ち去って行く2人の後ろ姿を、私はとても美しいものを観るように眺めていました。

先週末、思いがけず彼女と再会しました。その後、彼が結婚する気になったかどうか訊ねたところ、「相変わらず、愚図愚図、ウジウジしています」と答えました。そして、「どうするつもりなんでしょうねぇ…..」と言いつつも、「なるようにしかなりませんよね」と、どこまでもサバサバと、笑いながら答えるのでした。

それを聞いた私は、「あれほど貴女の気持ちを聞いておきながら、未だに腰を上げようとしないとは、とんでもなくけしからん奴だ」と、彼女に代わって罵りました。私、欠席裁判の証言台では、めっぽう強気なのです。

それでも、他人の恋路です。私に出来ることは何もありません。私が観ているものは、いつも彼らのなかのごく一部に過ぎず、そのわずかな材料を元手に、あれこれ言うこともできません。過程に関われない、あるいは関わってはならない者に出来ることは、ただ穏やかに、ことの成り行きを見守ることしかありません。私が知ることの出来るもの、それはいつも「結果」なのです。

私の2009年は、こんな具合にして明けたのでした。

(了)

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