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枠の外の物語(2)。

  • March 3rd, 2009 (Tue) 19:10
  • 光画

2008KRSK071-1.jpg

撮り手が常に良き被写体であるとは限りません。かくいう私は、人に撮られるのが苦手です。職場で集合写真のスナップを撮るときなど、私は率先して撮り手に回ります。「3枚撮りますよ!!」が決まり文句ですが、そうすると、決して被写体に回ることはありません。3枚も撮れば、みなこれで充分だと思うので、わざわざ撮り手を代え、私を入れて撮り直そうとはしないからです(笑)。

もちろん、なかには「代わるよ!!」と気を遣ってくれる同僚も居るのですが、その頃には整列の形も崩れています。よほどの蛮勇の持ち主でもない限り、皆に号令をかけて整列させ、改めて撮り直すことなど出来ないのでした(笑)。

よしんば撮り手に回るタイミングを逃したとしても、出来るだけ端のほうか、背丈の高い同僚を前に、せいぜい顔から上が覗く程度に写ります。単なる自意識過剰に過ぎませんし、どうしてこれほど苦手なのかも判りませんが、気が付くとそのように反応しているのですから仕方ありません。

ピースサインにせよ、スペシウム光線にせよ、それは「被写体」を誠実に演じるための「モード」です。かつて、Beatlesが武道館で初の来日コンサートを行ったとき、そこに集った少年少女は、ただただ泣き叫ぶことしか出来なかったそうです。ロック・コンサートで、観客としてどのように振る舞えば良いかという「モード」が、当時の日本に無かったからだそうです(たしか、大月隆寛さんがそんなことを言っていました)。

いまは違います。矢沢永吉さんのコンサートで、ある曲のあるフレーズに近づくと、誰もが一斉に”E.YAZAWA”とロゴの入ったバスタオルを放り投げるとか、ジャニーズ系やアイドルのコンサートでは団扇とペンライトが必需品とか、クラシックコンサートでは楽章の合間に拍手はしないとか、誰もが「誠実な観客」として振る舞うための「モード」を携えています。

ひとりひとりがそうした「モード」を身に付けるのは、ごくごく自然になされることです。しかし、それでは何故、バスタオルであったりペンライトであったり、あるいはピースサインであったりスペシウム光線であったりしなければならないのか…..それはほとんど「社会がつくった」としか言いようのない何かかも知れません。

(つづく)

2008KRSK076.jpg

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