Home > 光画 > 続「HIROSHIMA 1958」。

続「HIROSHIMA 1958」。

  • December 14th, 2008 (Sun) 19:12
  • 光画

2008Asato027

Amazonに注文していた、エマニュエル・リヴァによる写真集『HIROSHIMA 1958』が届きました。最初のページを繰って、思わず声をあげてしまいました。見開いた右側の頁、そこには元安橋から見た原爆ドームが写っていました。しかし、声をあげたのは、原爆ドームに対してではありません。

現在からは、およそ想像することさえ困難なくらい、そこには人々の暮らしが息づいていました。「平和祈念」の役割を付与された崇高なモニュメントというイメージからはほど遠く、「消失した産業奨励館」として、人々の暮らしに溶け込んでいるようです。

いまでは影も形もありませんが、ドームのすぐ傍らに、木造の町屋がひしめくように立ち並んでいます。その脇を、夏服姿の人々が歩いています。最も高い建物は原爆ドーム。空はどこまでも広く、北部の山が見通せます。

Wikipediaによると「広島平和記念公園」が完成したのは1954年4月1日のことのようです。その4年後の1958年、”Hiroshima mon amour”のためにエマニュエル・リヴァは来日し、この写真を撮影したのです。つまり公園は「完成した」とは言いながらも、部分的には未だ立ち退きが進まず、「整備」の途上にあったと言うことなのでしょう。

哀しいことに、いまの私たちは、原爆ドームを「平和祈念のモニュメント」としてしか識ることができません。かつてその土地には人々の暮らしがあり、生老病死も含め、すべての営みが混在していました。その空間の只中に在る「原爆ドーム」を識ることは、もはやできないのです。

整然と区画され、もっぱら「平和祈念」と「観光」と「憩い」の機能を割り当てられた、いびつな空間。むろん、戦後の復興や開発や進歩とやらは、それぞれの土地に専用の機能を割り当てる作業でした。官庁街とか、大型商業施設とか、郊外のベッドタウンとか……。

この写真集に収められた光景は、土地に専用の機能を押し付けて切り分ける、謂わばその途上の記録なのです。戻れるものなら戻ってみたい、覗けるものなら覗いてみたい、そうして私たちの何が変わってしまったのか、何を忘れてしまったのかを知りたいと思うのでした。

それにしても、エマニュエル・リヴァの、なんと美しいことか……。

2008Asato025

Comments:2

sam 08-12-22 (Mon) 21:56

Very graphical. A great composition.

mb 08-12-23 (Tue) 17:05

Dear sam!! I always appreciate your kind message on my blog & photoblog!

Comment Form
Remember personal info

Trackbacks:1

Trackback URL for this entry
http://memoranda.egoism.jp/blog/2008/12/%e7%b6%9a%e3%80%8chiroshima-1958%e3%80%8d%e3%80%82.html/trackback
Listed below are links to weblogs that reference
続「HIROSHIMA 1958」。 from memoranda
pingback from memoranda - 遺る写真。 09-01-27 (Tue) 22:11

[...] ただ、帰宅してじっくり読んで、今月号は買って良かったと思っています。特に巻頭の「NC Journal」は収穫でした。ひとつは、以前にも触れた“Hiroshima mon amour”の主演女優、エマニュエル・リヴァへのインタビュー記事があり、『Hiroshima 1958』に託された思いを知ることができたことです。 [...]

Home > 光画 > 続「HIROSHIMA 1958」。

Spider
Recent Entries
Recent Comments
Archives
Categories
Now Playing
flickr Photostream
DSCF7851DSCF7849DSCF7848DSCF7846DSCF7844DSCF7840DSCF7839DSCF7853DSCF7833
TagClouds
Search
Feeds
Meta
Counter

Return to page top