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赤錆びた光景(15)。

2007Yskn060-1

蒼穹舎を離れるとき、宣伝用に留め置かれていたDMのひとつを手に取りました。ハイコントラストのモノクロームに惹かれたのですが、撮り手は森山さんではありませんでした。まさに開催中の写真展で、場所は新宿ニコンサロンでした。そこは未だに訪ねたことがありませんでした。

当初、蒼穹舎を出たあとは恵比寿に向かい、都写美の開架資料室に籠もるつもりでした。しかし閉館までの残り時間を数えると、気になる写真集を借り出して、それらとゆったり格闘する時間は無さそうでした。とは言え、新宿のような人混みでGR1vを振り回す度胸は、ハナからありませんでした。

消去法と好奇心とが五分五分の心境で、新宿ニコンサロンに向かうことにしました。これほどの高層ビルに足を踏み入れたのは、3年前、名古屋出張でのテレビ塔以来かもしれません。

四隅をピンで留めただけの、半切大のモノクロームが壁を覆っていました。その荒々しくも繊細なトーンは、まったく私の好みでした。すれ違いざまの人の表情が、大写しに展開しています。疑い、怯え、そして挑みかかるような被写体の視線は、実は撮り手の視線そのものだったのかもしれません。

その迫力は、たしかに凄まじいものでした。しかし、私は当惑していました。たしかに凄味はありましたが、圧倒されたわけでは無かったのです。

喩えて言えば、スライムを、それとは知らずに手渡されたのか、それとも「スライムですよ。」と予告されたうえで手渡されたかの違いです。蒼穹舎で手にした1枚のDMは、明らかに凄味と迫力に満ちた東京のスナップ(もちろん、素人には到底撮れるはずの無い)を予告していました。そのDMに導かれてこの写真展に赴いたはずなのに、そこで私にできたことは、その予定調和を自ら追認することでしかなかったのです。

不意に、この写真の撮り手が森山さんであったらどうだろう?と、考えてしまいました。もちろん、森山さんはこのように他人を撮ったりしません。森山さんの作品の中で、正面からの人物を、しかもその表情しか見えないくらいに大写しした写真は、圧倒的に少ないはずです。

そのことを承知していながらも、そのコントラストの相似から、ついつい「撮り手が森山さんであったなら」などと、不謹慎な思いを抱いてしまったのです。しかし、仮に撮り手が森山さんであったなら、間違いなく、私の感じ方は異なっていたはずです。

予定調和の追認を、もっともっと楽しんでいたはずです。あるいは、それ以上の意味を見出そうとしたはずです。なにより、荷物が増えることも厭わずに、迷うことなく、そこに平積みの写真集を1冊購っていたはずです。

「森山さんに似ているが、撮り手は森山さんではない」という一点だけで、私は私の感じ方を変えていたのです。私が愛していたのは、森山さんという「ラベル」であり、森山さんの写真そのものでは無かったようです。これは森山さんを冒涜することであり、同時にこの写真展の撮り手を冒涜することに他なりませんでした。

否、「冒涜」と言えるほどおこがましいものではありません。写真を読む私自身の「読解力」の無さ、これを自覚したに過ぎないのでした。

(つづく)

2007Yskn066

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