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赤錆びた光景(2)。

2007Yskn043

職場にα707siを返納し、’98年にF3を手に入れてからも、もっぱらカラーネガばかりを使っていました。銘柄は、F3に初めて詰めたフィルムであり、パッケージのデザインも好みだった”Kodak Super Gold400”の36枚撮りです。これはいまでも、私の常用フィルムです。

しかし、当時はそれほどパチパチと撮るほうではありませんでした。Nikomatを手にしていた中学時代と同様に、「フィルムは貴重品。考えもなく、無闇に消費するものではない。」という思い込みがあったのです。出張のついでに持ち出しても、1本も撮り終えることなく戻って来るのが普通でした。これはカミさんと出かけたときも同じでした。

数をこなしていないのですから、当然、写真が巧くなるはずはありません。なにより、当時は「巧い写真」を撮ろうという気持ちは希薄でした。もちろん、思いがけず良い瞬間が収められていたり、構図が決まっていたりすれば、それなりに嬉しいものでした。

しかし、プロのように撮れるはずも無ければ、そのための努力を重ねることも何より面倒くさいとしか思っていなかったのでした。誰に強制されたわけでもないのに、まるで義務のように「撮り方の入門講座」的な本に眼を通したこともありましたが、その類の本の中で面白いと思えたものに、出会えた試しはありませんでした。

「熱しやすく冷めやすい。」とは、子ども時代の私に対する、両親はじめ親族一同の一致した見解です。その評価は誠に的確であり、しかるが故に私のトラウマともなっているのでした。F3を手にした当初、そのことに喜び、熱中していながらも、脳の芯は「もって1年くらいでしょう。」と、極めて冷静に囁いていたのでした。

それがその後、2年近くも続けてこられたのは、「好い写真を撮りたい」という「向上心」ではなく、機械に対する「タダの物欲」のおかげでした。つまり、私自身の中に起こる物欲の波を乗り継いでいるうちに、いつの間にか2年近くが過ぎていたのでした。

幸か不幸か、F3には様々なバリエーションがあり、アクセサリー類も豊富でした。おまけに製造中止がアナウンスされた頃でもありました。Nikkorレンズも、そのデザインを眺めていると、とりあえず、ひととおりの焦点距離を揃えたくさせる何かがあったのでした。

実はクラカメブームだったのだと気が付いたのも、その頃のことです。Leicaに関心が向かわなかったのがせめてもの救いですが、当時の私にとっては、少年期の憧れ、’80年代Nikonマニュアル機こそすべてでした。折しも、Ei-Publishingが『Nikon Fシリーズのすべて』(1999)を刊行した頃のことです。

(つづく)

2007Yskn033

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