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異人。

Yunotsu007

今日の朝日新聞の「定義集」というコーナーに、大江健三郎氏が寄稿しているのを見つけました。本文の傍らに添えられた挿絵に、ふと見慣れた顔があるような気がして、思わず目が留まりました。それが誰なのか、にわかに思い出せませんでした。

そして読み進めるうちに、それが若かりし頃の安部公房の写真の模写だと気が付きました。たしか、新潮日本文学アルバムのシリーズにあったポートレートです。およそほかの写真ではお目にかかったことのない長髪で、しかも眼鏡をかけていないのです。

(書棚から引っ張り出して確認したところ、18頁でした。長い前髪を掻き上げるように肘をつき、左手のひとさし指と中指にタバコをはさみ、原稿用紙を前に物憂げな表情をしています。「昭和26年、『壁』刊行の頃。茗荷谷の自宅にて」と添え書きがあります。ちなみに本書の表紙にある安部のポートレートは、カルティエ・ブレッソンによるものです。)

安部が東大医学部を一年遅れで卒業するさい、「決して患者の脈を取りません」という念書を指導教官に書かされた、という話を読んだことがあります。つまり、医者にはならず、文学の道に進むことを条件に卒業を認められたという、本当か嘘か判らない逸話です(笑)。しかし、大江氏の今日の記事は、そのことを裏打ちするものでした。

卒業に関わる試験のなかに、象の妊娠期間を問う設問があり、それに答えられなかったために、安部の留年が決定したのだそうです。

もちろん、大江氏の記事は、安部の留年の理由を解説しただけのものではありません。テーマは「異人」でした。異人とは、「異能の人」。自身に対する伊丹十三、司馬遼太郎に対する安部公房、そして、誰であったか忘れましたが、その誰かに対する加藤周一…..という具合に続きます。

しかし、その「異人」の趣旨が何であったのか、すっかり忘れてしまいました。憶えているのは、安部の留年の理由が、象の妊娠期間を答えらなかったことであり、後年、恩師が安部に対して「天才を世に送り出すことを一年遅らせてしまった」と陳謝したらしい、ということだけです(苦笑)。

それにしても、新聞の中で安部の名前を発見したのは、本当に久しぶりのことでした。そのことを思うと、すこしばかり、寂しいような…..。

Yunotsu008

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