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任意と強制(15)。

  • February 22nd, 2008 (Fri) 22:12
  • 思惟

2007Mi2421

無数にある出来合いの選択肢のおかげで、日々の「必要」がいともたやすく満たされてしまうので、突き詰めたり、問い直したり、こだわったり、あるいはより良い価値を求めて問いを持つことそのものを、どこかで忘れてしまいそうになります。

「必要は発明の母」だったようですが、そうして生まれた数多の選択肢は、いったいどんな「母親」なのでしょう。

技術者が作りたいものよりも、市場調査のデータが商品開発の方向を決める、その比重が、ある時期を境として急激に増えたという話しを聞いたことがあります。実際には、「営業が技術屋に口出しするようになった」と、はなはだ穏やかならざる表現でしたが……。

もちろん、市場を無視した商品開発など、いまの時代にそぐわない話しです。ただ、どれほど信頼性の高いサンプリングに拠る調査であっても、それが示す「多数派」とは、「問われたことに平均的に満足する集団」に過ぎないのかもしれません。

圧倒的多数とは、実は散票の群だったとしたらどうでしょう。そして、常に平均的な満足度を示す2〜3割の「まとまり」が「正統」だとしたらどうでしょう。エゴむき出しの強権的・抑圧的な「正統」よりも、至って人当たりの良い「正統」の方が、本当は恐ろしいのかも知れません。

「任意と強制」という言葉で示したかったのは、そのふたつが、どうやら同じ穴の狢らしいという懸念でした。いずれ私たちの感情など、私たちの内側から自然に湧き上がるものではなく、時代と社会が形作り、割り当てたモノに違いないのでしょうが、その時代と社会を作る片棒を、私だって担いでいるわけです。

「任意であれ、強制であれ、「捜査」であることに変わりはない」などというつもりはありませんが、どうにも今の状況は、自縄自縛に思えて仕方が無いのです。

モノが無く他に選択の余地がない不自由な時代を生きることは、本当に大変だったろうと思います。しかし、モノにあふれた豊かな時代を生きることも、同じかそれ以上に、困難なことなのかも知れません。

(了)

2007Mi2301

(着地点も判然としないのに、「連載」などと格好をつけるのではなかったと後悔しています。相手が手強すぎたのか、私の能力が無さ過ぎたのか…..。おそらく、その両方でしょう(苦笑)。)

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