Home > 思惟 > 任意と強制(2)。

任意と強制(2)。

  • January 29th, 2008 (Tue) 20:50
  • 思惟

2007Mi169

三日三晩、床に伏したままでした。部屋の片隅に置いていた、14inchのブラウン管テレビも、昼夜を分かたず点けっ放しの状態でした。いまでは記憶も曖昧ですが、民放からCMが消えたのではなかったでしょうか…..。全局こぞって、NHKと化した日々だったように思います。

嘔吐と腹痛にさいなまれながらも、寝るよりほかにすることのない私は、横になって延々と崩御のニュースを眺めていました。電話が無いくらいですから、当然、ビデオデッキなどは高嶺の花です。ちなみに、冷蔵庫も持っていませんでした。

そうして、前年の夏に他界した祖父のことを思っていました。戦争で大陸に渡り、さしたる戦闘に遭うこともなく、気が付けばシベリアに抑留され、終戦後数年の後に無事に帰ってきた祖父のことです。

その祖父が、生きてこの日を迎えていたら、いったいどんな感慨を覚え、私に何を話してくれただろうと思わずにはいられませんでした。せめて、あと半年、長生きしてくれていれば……と。祖父は昭和天皇より10歳近くも若かったのでした。

祖父は戦時中のことを、あるいは戦争のことを、決して道徳的に語ったことはありませんでした。それは祖父の性質もあるでしょうし、抜き差しならぬ命のやりとりの現場に置かれなかったことも理由かもしれません。

たまさか水を向けたときに、ようように話してくれるくらいのものでした。それも「喉が渇いてやむなく泥水を飲んだら、腹を下げて往生した」だの、「抑留中、厳冬の真夜中に、あまりに腹が空いて仲間と食べ物を探しに出ると、馬鈴薯がそこら中に転がっている。大喜びで持ち帰って、鍋に放り込んで煮たところ、馬糞だったのでガッカリした」とか、「本土に引き揚げるとき、検閲の目を誤魔化して腕時計や写真を持ち帰ることができた」とか、およそそのような笑い話の類ばかりなのでした。

もちろん、子どもの私には想像も及ばないところで、祖父は祖父なりに、あの戦争を捉え、腑に落とそうとしていたのだと思います。自らの体験に、意味のある合理的な言葉を与えて咀嚼しようとしたのではなく、それは晩年まで書き続けた、膨大な量の写経だったのではないかと思っています。

(つづく)

2007Mi178

Comments:0

Comment Form
Remember personal info

Trackbacks:0

Trackback URL for this entry
http://memoranda.egoism.jp/blog/2008/01/%e4%bb%bb%e6%84%8f%e3%81%a8%e5%bc%b7%e5%88%b6%ef%bc%88%ef%bc%92%ef%bc%89%e3%80%82.html/trackback
Listed below are links to weblogs that reference
任意と強制(2)。 from memoranda

Home > 思惟 > 任意と強制(2)。

Spider
Recent Entries
Recent Comments
Archives
Categories
Now Playing
flickr Photostream
DSCF7851DSCF7849DSCF7848DSCF7846DSCF7844DSCF7840DSCF7839DSCF7853DSCF7833
TagClouds
Search
Feeds
Meta
Counter

Return to page top