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友達。

  • December 4th, 2007 (Tue) 23:45
  • 思惟

2007Mi098

「この職場で、私は多くの「友達」と出会うことができました」。先々月、同僚がこの職場を去るとき、その送別会の席上で残してくれた言葉です。以前、「儀式の喪失」という記事(こちら)にも登場してもらった、私より1歳年上の同僚です。

私の職場は、同じ業界の他の職場と比べても、奇跡に近いくらい、チームワークの良いところです。いままで漠然と抱いていた思いに、彼は「友達」という的確な言葉を与えてくれたのでした。

強烈なリーダーシップを発揮したり、強権的な力業をもつ上司が居るわけではありません。動かしているのは、私も含めて昭和40年代前後の世代です。喩えて言えば、監督や司令塔の居ない、しかし個々の選手がその持ち味をいかんなく発揮する、パス回しの良いサッカーチームのようなものでしょうか。

もちろん、上からの押さえつけが無いぶん、なかば悪ノリに近い動きをしてしまうこともしばしばあります。しかし、それも含めてきちんと結果を出しているのです。「中心を持たないが故に成り立つチームワークの良さ」とでも言えば良いでしょうか。

ですから、その意味では、彼も「中心人物」ではなく、むしろ重要なプレーヤーのひとりだったわけです。栄転であり、またやむを得ざることとは言え、彼がこの場を離れることを、誰もが惜しんだことは言うまでもありません。

敢えて「友達」という言葉を使ったのには、彼なりの理由がありました。「職場では、同僚とは「友達」になり得ない、あるいは、なるべきではない」という思いが、長らく彼のなかに有ったのだそうです。そこになんの裏付けも無いことが、かえって彼の「確信」として沈潜していたのだそうです。

さまざまなプロジェクトを、ともにこなしていくなかで、それまであまり顔を合わせたことのない部署の同僚とも、「友達」になって行きました。それはなにも同世代の同僚だけではなく、年長者も含めて「友達」だったのです…..とは、彼の言葉です。

今日、ひとつのプロジェクトを終え、打ち上げの酒宴をもったところです。他所に移った彼のことを、誰もが思い出しながらも、しかし決して話頭にのぼらせることなく、「友達」の二文字を噛み締めて帰ってきたのでした。

2007Mi028

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