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死に目覚めるとき(12)。

  • November 28th, 2007 (Wed) 23:06
  • 昔話

2007Mi085

両親の与り知らぬところで、彼は彼なりに、死へのイメージをふくらませていたようです。「実体としての死」に彼が出会った最初は、カミさんの祖父の葬儀です。しかし、当時の彼は未だ4歳になる前でした。いくらなんでも、憶えているはずがありません。

だとすれば、「実体としての死」ではなく、「イメージとしての死」が先行しているように思えるのですが、そこに確証はありません。もしかすると「物心のつく前」などと言うのは大人の勝手な解釈で、存外、子どもの記憶は確かなのかもしれません。

そうして刻印された曾祖父の葬儀のことが、いま、なにかのきっかけで湧き出ているのかもしれません。しかし、そのきっかけが何なのか、それもまた、私たちには見当がつかないのでした。彼に訊ねてみましたが、もとより要領を得るはずがありません。

いずれにせよ、彼の中に芽生えた「イメージとしての死」が、これ以上、彼をさいなむことの無いように….などと思ったりするのです。

いまでも時折、彼は「おとうさんも、としをとって、で、おじいちゃんになって、で、しんじゃう?」と訊ねることがあります。それもたいてい、寝る直前のことです。その話の流れの中で、彼は時々、不可思議なことを口走ります。

彼の生まれる10年以上も前に他界した、父方の祖父の葬儀のことを憶えている、などと言うのです。そうして、「ぼく、おとうさんに、あいたかったよぉ〜」と言うのです。

寝呆け眼(まなこ)の戯言にしても、彼のこの空想は、私にとって愉快で心地良いものでした。それなら、私だって、会いたかった。そうして、その想像の羽を、ふたりして広げて愉しんでみるのでした。

こうしてついつい、夜更かしをしてしまうのです。

最近、気が付いたのですが、いちばん大切なことは、「どっちでも良いから、さっさと寝なさい!!」と叱責し、「漠然とした死のイメージなんかより、親の方が数段恐い」と思わせてあげることかもしれません(笑)。

思いがけず、長々と書いてしまいました。とりあえず、この連載は、今日でおしまいにします。

(了)

2007Mi077

Comments:2

spny 07-11-29 (Thu) 13:49

私の友人の子供は、前世について
とうとうと語りだしたそです、4歳のある日に。
それと比べれば、まだまだ普通の日常かと思いますから、元気を出してください(笑)

mb 07-11-29 (Thu) 21:29

spnyさん、こんばんは。
話には聞いたことがありましたが、本当にそんなことがあるんですね(笑)。
もちろん(私も含めて)「親の欲目」でもあるでしょうし、ヘタをすると寝言に話しかけるような過ちを犯しているのかもしれませんが…..。
しかし、その空想は、なかなかに楽しいものですよ。いずれにせよ、ふつうの日常と判って、ホッとしています(笑)。

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