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死に目覚めるとき(1)。

  • November 12th, 2007 (Mon) 19:33
  • 昔話

2007Mi021

荒れ模様の天気だからではありません。以前から、いつか書きたいと思いながらも、ついつい、ためらいの方が先行していました。もちろん、いまがそのタイミングだという確証は無く、ためらいを払拭できたわけでもありません。

決して「明るい」とは言えず、むしろ陰気くさい部類に入るこのブログに、敢えて陰鬱の華を咲かせるのもどうかと思いますが、もっぱら私自身の記録のために、いつかは書いておきたいことだったのです。ようやく、ある種の踏ん切りが付いたのでしょうか。

「死に目覚めるとき」と言っても、そこには2つの「死」があります。ひとつは即物的な意味で自分以外の肉体の死と出会うこと。もうひとつは、個人の頭蓋のなかで膨らみ行く、イメージとしての死に出会うことです。

私の記憶を手繰ってみると、最初に訪れたのは前者の方…..つまり、祖父の死との出会いでした。当時、私は4歳でした。

記憶はいずれも断片的なものです。スナップ写真を手繰るように、そのときの出来事を文字に置き換えると、こんなふうになります。場所は母方の実家でした。季節は夏の終わり。一家団欒の四畳半、時間はお昼前後でした。

白衣を着た若い医者と看護婦がやってきて、祖父になにやら注射を打っています。なにごとかを祖母と母に話し、そして帰って行きました。

私の眼の前に、口から白い錠剤を吐き出した祖父が横たわっています。

しばらくして、再び先程の医者がやってきました。今度は祖父に馬乗りになるように、なにやら胸のあたりを押さえつけています。

場面が変わっています。先程の居間の隣の部屋……客間として使っていた和室に、床が延べられ、祖父が横たわっています。

その傍らで、祖母が普段着のまま、次々にやってくる客の相手をしていました。「馬鹿ですわ……」と力なく呟いた言葉を憶えています。

おそらくはその翌日…..客間の隣にある応接が、常ならぬ装いに彩られています。

夕暮れよりは日の高い時間でした。同じ市内に暮らす父方の祖父母に手を引かれています。父方の実家に向かう坂道でした。

(つづく)

2007Mi009

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[...] を亡くしてはいましたが、それは私が4歳のときです。断片的な記憶はある(参考記事:「死に目覚めるとき」)ものの、初めて「身内の死」を意識して迎えたのは、この父方の祖父の死 [...]

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