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続 続 帰省。

2006Dks143

そんなことをつらつらと書いていた昨夜、NHKが放映した歌番組で、元ちとせの歌う『死んだ女の子』を、偶然に観ました。2005年、News23で放映されたときと同じ、原爆ドーム前からの中継映像でした。

その当時も「不思議な詞だなぁ…..」と思いました。思っただけで、そのときは特に調べることはしませんでした。しかし今回、その詞が翻訳であり、トルコの詩人、ナジム・ヒクメット氏によるものだと識りました。

2005年のNews23以来、耳にするのは2回目でした。今にして思えば、この曲に対する2年前の私の異和感は、日本語の語感には決して解け込まない翻訳調にあったのかもしれません。

しかし、それ以上に在った異和感は、「ヒロシマ」や「原爆」の被害者…..つまり、その後に生を長らえることのできた被害者たちからは、決して出てこない、あるいは、その心に存在はしていても、口にすることをためらわれる(と思える)、その直截な言葉たちにありました。

不思議なことに、今回は、その異和感は、私の中では少し消えていました。作詞者が異国の人だと判ったからではありません(なにより、そのことを知ったのは、昨日の放送を聴いたあとでした)。むしろ、『死んだ女の子』のタイトルが示すとおり、あのとき、あの場で途絶された人間の言葉として聴くことができたからかもしれません。

同じNHKで放映していた討論番組は、最初から観る気にはなれず、早々にチャンネルを変えていました。なにより、あのとき、あの場をなにひとつ知らない人々の言葉に、どこまで耳を傾けられるのか、自信がありませんでした。

そして一連の「これから」のシリーズは、討論という形式が、もはや私の中に喚起するものを、なにも持ち得ていないと伝えるばかりだったのでした。

そのいっぽうで、元ちとせの歌う『死んだ女の子』は、私の涙腺を刺激せずにはおきませんでした。理(ことわり)を尽くしてモノを考えることよりも、一瞬の刺激に対する感情の反応が優先するのは恐いことです。

その証拠に、2年前は手に入れる気にならなかった『死んだ女の子』を、今日はダウンロードしようとしている…..幸か不幸か、Macでは購入できないようです。このまま、8月20日のDL期限を越えてしまうのは、私にとって良いことなのでしょうか……。

そうして今日は、BS1のドキュメンタリー『証言記録マニラ市街戦』を観ながら、この記事を書いています。カミさんとふたりで観ていました。沖縄に生まれ育った彼女は、どのような思いでこの番組を観たのか、私は未だに声をかけられずにいます。

その私は、と言えば…..。『死んだ女の子』は、なにも「ヒロシマ」である必要はひとつもない、と呟いているのでした。

(つづく)

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