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悼む心。

2006Dks020

およそ15年近く前、つまり、20歳代半ばを挟む数年の間、様々な意味で私のありようを形作った著名人が、次々と彼岸の人となりました。たとえばそれは、カリスマ的な人気をもつ歌い手であったり、俳優であったり、作家であったり、レーサーであったりします。

そのなかの誰ひとりとして、自ら命を絶った人はいません。ある者は病であり、ある者は事故でした。ただ、その原因はともかく、いずれも道半ばにしてその生を絶ち切られたという印象を拭えないケースばかりでした。

著名人の訃報など、いずれ唐突なものに決まっています。おまけに、当時の私は、20代も半ばだというのに、未だ充分に成熟してはいませんでした。つまり、その訃報を常ならぬ衝撃をもって受け止めざるを得ないくらい、大人になりきれていなかった、ということです。

いまにして思えば、「自分」というモノにこだわるあまり、しかし決してそれを持ち得ないことを、誰かに仮託していただけなのです。その対象が唐突に失われるわけですから、どうあれ「喪の仕事」にお出まし頂かなければならなかったのでしょう。

また、「喪の仕事」に自らをゆだねて悼む時間を持てるくらい、ゆとりがあったということです。さらに言えば、悼んだのはその人のためではなく、実は私自身のためでした。しかしその「私自身」は、どこまでも空虚なものに過ぎないのでした。

いまでも「自己」や「個性」や「自分らしさ」があるとは思いません。ただ、当時と決定的に違うのは、「「自分」など、詰まるところ他人様に作っていただく類のものであるらしい」と、いくぶん、鷹揚に構えられるようになったことでしょうか。

それにしても、当時と比べて、いとも簡単に訃報が流れていくように思えます。その人の死を共有しうる基盤…..たとえば、老いも若きも、男も女もその人を知っている、といったような状況…..が失われているから、という理由なら、まだ安心もできるのですが……。

「そう言えば、あの俳優さんって、亡くなったんだっけ?」と、思うことが、ここ最近、とても多くなりました。

私自身、直接にはかかわりのない他人の死に、悼む心を失いつつあるのかもしれません。

2006Dks023

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