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再読。

2006Dks004-3-3

たいした決心ではありませんが、常日頃「他の作家の作品に時間を費やすくらいなら、安部や漱石を読み返そう」と思っています。その一途な心がけのおかげで、ここ数年来、ただの1冊も小説を読まずに過ごしていました。

もちろん、安部や漱石の作品も含めて、という意味です(苦笑)。

そんな折り、w1allenさんのブログ「安部公房解読工房blogで、「あなたの好きな安部作品」の公募(こちら)がありました。一も二もなく私が取り上げたのは、新潮文庫版の『夢の逃亡』でした。

そうしてコメントを付けたものの、どこかしらひっかかるものがありました。その細部をほとんど忘れている作品を、何故取り上げてしまったのか…..。

折しも、日帰り出張が迫っていました。往復の電車で過ごす7時間を、『夢の逃亡』の再読に費やすことにしました。

幼い頃を暮らしていた家を、恐る恐る再訪するような心地でした。実際、『夢の逃亡』は、いまは他人の住まいとなっている、かつての我が家を訪ねる男の物語(『牧草』)から始まります。

幸いなことに、『牧草』から『唖むすめ』までのすべての作品を、行き帰りの車中で読み終えることができました。もちろん、電車に揺られながらの読書ですから、時折、集中力が続かなくなることもありました。

しかし、私の注意を途切れさせたものは、なにも振動ばかりではありませんでした。

既に私は、『夢の逃亡』が安部の初期短編群であることを知っていました。しかも、『終わりし道の標べに』から『デンドロカカリヤ』に至る、批評家にも(そしておそらくは本人にも)理解不能な安部の「変貌」を架橋する作品群であることも知っていました。

そんな余計な予備知識など無く、高校の古ぼけた図書館の片隅で、可動式の文庫棚に放り込まれていた『夢の逃亡』を偶然に拾い上げ、そのままあっという間に引きこまれてしまったときの衝撃が、いまの私に蘇ろうはずもありません。

なにより車中の私は、「何故当時、衝撃を覚えたのか?」を知りたくて読み進めていたのです。もちろん、解答はありません。

ただ、『夢の逃亡』に通底していたのは「愛」だったのだなぁ…..と思えました。「異性愛」とか「人類愛」とか「自己愛」といった、余計な連字符の付かない剥き出しの「愛」です。四方八方、内向きにも外向きにも、執拗なまでに攻撃的です。

それだけに、表題作『夢の逃亡』の優しさと切なさが心を打ちました。『薄明の彷徨』の印象が強すぎて、『夢の逃亡』のイメージは長らく霞んでいたのですが…..。

私にとって幸いだったのは、「どうしてこんな本に感動したのだろう?」と思わずに済んだことでしょうか(笑)。

2006Dks027

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