Home > 昔話 > 浮揚感。

浮揚感。

2006Dks007-1

20歳の頃、夜な夜な、空を飛ぶ夢ばかり観ていました。学術的な夢分析にかかってしまえば、これほど解釈しやすい夢は無いのかもしれません。ただ、当人にとってそんな理屈はどうでも良く、その夢を観ること自体の快感を、夜ごと待ち遠しく思っていたのでした。

詳細は、以前、「緑葉蝶」という記事に書いたとおりです。その記事で書き忘れていたことを、今日は思い出したのでした。

当時、昼夜逆転の生活を送っていた私にとって、深夜のテレビ放送は、私を現実世界につなぎ止める、大袈裟に言えば唯一の回路だったかもしれません。おまけに、当時は深夜TVの爛熟期でもありました。『カノッサの屈辱』とか『たほいや』とか『奇妙な出来事』とか。

名前は忘れてしまいましたが、そんな深夜番組の映画紹介コーナーで、あるとき、手塚治虫の短編を取り上げていました。”Jumping”という作品です。どの程度の長さだったのか忘れました。またその番組でも、取り上げたのはごく一部でした。

しかし、一見して、私の夢がそこにそのまま、現れていると思いました。異なるのは、私の夢がもっぱら夜の街並であるのに対して、手塚のそれは真昼の光景が多く、また、斜めの視線移動が少ないこと、それに、着地したときの衝撃が、私の方がはるかに柔らかいということでした。

しかし、14inchのモニターに映し出されたJumping、その浮揚感は充分すぎるくらいに伝わって、私を浮き足立たせるものでした。

当時も今も、私はジェットコースターに乗ったことがありません。夢の浮揚感は、フライト中に急降下したときの浮揚感とも違います。対応する現実の経験を、敢えて絞り出すならば、せいぜい、ブランコで立ち漕ぎをするときの感覚です。

およそ現実世界での対応物を見いだしがたい感覚を、夢のなかで経験するリアル。私の場合、それはもっぱら、皮膚感覚に依存するものでした。

不思議なことに、MATRIXを観ても、Spidermanを観ても、同じ浮揚感は得られません。あまりに「リアル」に迫り過ぎたがために、かえってリアリティを失ったのでしょうか。作り物のアニメ然とした手塚の”Jumping”の方が、はるかに生々しい浮揚感を伴って思い出されます。

適度に説明を省くほうが、かえって生々しいのかもしれませんね。なんであれ、説明過剰は禁物です。私自身への反省も込めて。

2006Dks005

Comments:0

Comment Form
Remember personal info

Trackbacks:0

Trackback URL for this entry
http://memoranda.egoism.jp/blog/2007/05/%e6%b5%ae%e6%8f%9a%e6%84%9f%e3%80%82.html/trackback
Listed below are links to weblogs that reference
浮揚感。 from memoranda

Home > 昔話 > 浮揚感。

Spider
Recent Entries
Recent Comments
Archives
Categories
Now Playing
flickr Photostream
DSCF7851DSCF7849DSCF7848DSCF7846DSCF7844DSCF7840DSCF7839DSCF7853DSCF7833
TagClouds
Search
Feeds
Meta
Counter

Return to page top