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続 遺品。

  • April 27th, 2007 (Fri) 19:42
  • 昔話

Dks02-5

祖父が譲ってくれたその腕時計の価値など、当時小学3年生の私が知る由もありません。ただ、「一般に腕時計とはとても貴重なものであるらしい」と、当時の私は子どもながらに思っていました。

幼い頃、尋常ならざるカメラマニアであるところの我が父と、一、二度、質屋をのぞいたことがあります。むろん、父のお目当てはカメラですが、子どもの私はずらりと並ぶ腕時計が不思議でならず、「これでお金が借りられるのだ」と知って驚いたことがありました。

また、祖父が話してくれた、腕時計にまつわる戦時中の体験も、私にとって忘れがたいものでした。

祖父はシベリアでの抑留体験を持っています。正確なところは忘れましたが、出征時に3歳であった父が、10歳の頃に戻ってきたといいます。息子がいちばん可愛いさかりの頃に、家を空けていたことになります。それでも無事に帰国できたのですから、幸いであったというほかありません。

父は「あのままおじいちゃんが帰っていなければ、自分の人生もずいぶんと変わっていただろうし、そもそもお前(私のこと)がこの世に生まれていたかどうかさえ怪しい」と言います。たしかに、そのとおりだったことでしょう。

このあたりのことは、機会があれば別に書いてみたいと思います。

祖父によると、帰国が決まってシベリアを離れ、極東の港から船に乗るまでの間、要所要所で荷物検査をされたのだそうです。そのたび、めぼしいものや不都合なものが、ことごとく没収されたとのことです。なかでも腕時計はその標的だったとか。

そのことを知っていた祖父たちは、あらかじめ上着の裏などに腕時計を縫いつけて、没収を免れてきたのだそうです。

過酷であったはずの戦時中の体験を、そのように飄々と話す祖父を、私はいつもある種の可笑しさとともに見ていました。腕時計をはじめ、貴重なものをせっせと衣服の裏に縫いつけている様子もそうですし、澄ました顔で検閲官の前に立ち、心の中で舌を出している祖父の姿も痛快です。

あるときなど、横一列に並んでいた3人ほど向こうでトラブルが起き、検閲官がそちらへ加勢にまわった隙に、広げた荷物をさっさと片付け、しれーっとその場を通過したこともあったようでした。「おかげで、戦地で撮った幾葉かの写真を持ち帰ることができたのだ」と自慢していました。

(つづく)

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