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事実が隠す真実。

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優作さんの『探偵物語』。水谷豊と原田美枝子が出演する「夜汽車で来たあいつ」(名作!!)の回だったかな……? すっかり忘れてしまいましたが、こんな台詞がありました。「事実がいつも「真実」を語ってるとは限らないんだよな」。

行方不明の妹(原田美枝子)を探しに、田舎から上京した兄(水谷豊)が、工藤ちゃんに諭される場面です。かき集めた情報は、どれもこれも妹の不幸な境遇を示すものばかり。

「また聞き」の「事実」から、その境遇を憶測するしかない兄は、「妹がかつて男と同棲していた」と聞かされた部屋の中で、その苛立ちを虚空に向けてぶつけます。未だ会えぬ苛立ちから、愛しい妹を口汚く罵る兄。それを半ば叱責するがごとく、工藤ちゃんが前の台詞を吐くのでした。

子ども心に、不思議な言葉に思えました。「「事実」と「真実」とは、どうやら違うものらしい」という、はなはだとらえどころのない問いです。

「真実に迫るには、事実を丹念に積み上げるしかない」とか、逆に「事実の積み重ねが、かえって真実を覆い隠してしまう」ということを、経験的に理解できるようになったのは、それからずいぶんと後になってのことです。

日本と米国で起きた、2つの銃撃事件。ひとつは被害者の職業によって、いまひとつは犠牲者の多さによって、「特異」の位置を与えられました。「多くの人が決してやらないことを、いとも簡単にやってしまった犯人」が「特異」なのなら、そうした事件は他にもゴマンとあるはずです。「特異な事件」は、過ぎるくらい、私たちの日常にありふれています。

犯人のパーソナリティや、そのパーソナリティを形作ったものにだけ、目を向けさせたいのかな……としか思えません。犯人の特異性の「解説」が、「事実」をもとに輻輳するほど、本来問われるべき問題から、ますます眼が逸らされる気がします。

偶然にせよ、今回の加害者たちが、メディアに対して犯行を予告したことは「事実」です。しかし、その行為は、本当に「特異」なことでしょうか?

事件を知ったとき、そんな「予告」なり「ビデオ」なりが存在する「事実」を期待した人はいなかったのでしょうか…..。「期待」があったからこそ、その事実が明るみに出た…..。加害者は、そんな「期待」に対して、(真意はともかく)、至って素直に、合理的に応えたに過ぎません。そこに「猟奇性」などカケラもなく、特異なことなどなにひとつありません。

「予告」という「事実」を「特異」なものとしてセンセーショナルに報じたぶん、本来問われるべき「真実」が、「事実の網目」をすり抜けて行くようです。

「民主主義に対する重大な挑戦」という言い方に、なんの異論もありません。この言葉を繰り返し叫びつづけることも否定しません。しかし、すべての「問い」が、そのワンフレーズの前で足止めを喰らっているように思えてなりません。

自分でも、はなはだ消化不良なのですが、ユリタさんのこちらの記事が、私のなかのモヤモヤに、ひとつの答えを与えてくれています。

いちどくらい「すべての背後関係が明らかになりました」とか、「いよいよ、史上例のない刀狩りが始まりました」という報道を耳にしたいものです。そんな「事実」を生む報道なら、進んで鵜呑みに致しましょう。特定の候補者を揶揄するばかりが、世論操作ではありますまい。

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