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放置プレイ。

  • October 11th, 2006 (Wed) 21:17
  • 思惟

2006Daisen020-1

「この平和を守るためには、積極的に武器を放棄しなければならない」という考えがあります。「この平和を守るためには、むしろ積極的に武器を手に取らなければならない」という考えもあります。

「戦争」と「平和」という熟語は、同一線上の二極に位置する言葉なのでしょうか。どちらが口で、どちらが尻尾か判りませんが、私には、自らの尾を咥えてグルグル回り続けている様子しか浮かびません。

「戦争と平和」という二項対立は、私たちの目を曇らせるだけのような気がします。勧善懲悪も、また然り、です。とりわけ「武装化や他国に戦争を仕掛けることは、純然たる経済行為なのだ」という「事実」に対して。

メディアの伝えるところによると、米国の外交政策の失敗が招いたことなのだそうです。中国はメンツを潰されたのだそうです。韓国の宥和政策は能天気に過ぎたのだそうです。国連は相変わらず主体性を発揮できていないのだそうです。「核を持たないからイラクはやられた」という事実が、彼の国の動機になったのだそうです。

いっぽう、国内向けには、核アレルギーと拉致体験を前面に押し出しつつ、実に感情的かつ情感豊かに「冷静になろう」と叫んでいます。今回の「実験」以降、まじめに報道に接していたわけではありませんから、勉強不足は百も承知ですが、どれほど報道に触れようが、詰まるところ、出て来る「情報」は上の数行に要約できる程度のもののように思えます。

こうして、彼の国の指導者層が、どこからどう見ても「非の打ち所のない悪」として作られて行きます。放置プレイの仕掛けに対して、実はいちばん生真面目に、その役割を演じていただけなのかも知れないのに。

共産圏でもっとも脆弱であったはずの彼の国が、現在、その陣営(?)で唯一と言って良い体制を維持していることのカラクリが問われなければならず、それはむしろ、「維持している」のではなく、「維持させられている」と考えるべきだ、と、大澤真幸氏は言っていました。

本当に恐いのは、北の核でも放射能でもなく、それに乗じて翼賛化させられそうな私たち自身かも知れません。そう言えば、今日、PAC3が嘉手納に配備されたのでした。道交法違反という「悪」に対して、正当な武力が行使されたのだそうです。

2006Daisen029

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