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批評と編集(3)。

Oki0207-1

天下の丸善とは言え、写真関連の蔵書はジュンク堂よりも見劣りするものでした。とは言え、いまさらジュンク堂に踵を返したところで、閉店時刻は過ぎています。ここで決めなければ、仙台から東京までの車中を、無為に過ごしてしまいます。

背表紙だけでは判断のしようが無い。そう思って、1冊ずつ、手に取ってみることにしました。しかし、いつも感じていることが、再び鎌首をもたげるのでした。

どうにも、両極端なのです。ひとつは、西欧の哲学や美術史の基礎知識がなければ、とても太刀打ちできそうにない、視覚文化論や評論の類。もうひとつは、徹底した機械偏愛の蘊蓄本…….。

「両極」があるのなら、「あわい」や「中間点」があったって良いはずです。しかし、不思議とそこだけが取り残された真空地帯のように、めぼしい本が見当たらないのです。ほとんど完敗に近い状態でした。

もちろん、本が無いなら無いなりに、居眠りして過ごすとか、車窓の景色をボンヤリ眺めるとか、時間を潰す他の方法が無いわけではありません。しかし、そのときの私が欲していたのは、時間つぶしのツールではなく、撮れない苛立ちを緩和する鎮静剤でした。ですから、嘘でもなにか1冊、持ち帰らなければ気が済まなかったのです。

そうして手に入れたのが、黒崎政男の『哲学者クロサキの写真論』(晶文社)でした。旅先で本を購うことが無く、ましてやハードカバーなど持ち歩いたことがありません。しかもそのとき、私の所持金は5,000円。にもかかわらず、その本を購わざるを得ないくらい、そのときの私は追い込まれていたのでした。

とは言え、まったくの消去法でこの本を選んだわけではありません。まえがきに記されていたスタンス…..特定の機械(LeicaやHassel)に惚れ込み、実用して撮ることと焼くことにこだわりを持つ「写真家ではない素人」が、写真とその将来を読み解く……には、共感できるものがありました。また、口絵に掲載の、著者によるモノクロームの路地の写真(Hassel SWCによる)も、私好みでした。

写真のデジタル化についても、その是非云々ではなく、その流れが変質させるナニモノかを見ようとしているところに好感が持てました。しかし、本体そのものは「まえがき」ほどの刺激に乏しく、読み進めるうちに「なんだ、要は機材自慢か」と思わざるを得ませんでした。

「まえがき」に記された刺激的な問題提起を、おそらくはいくらでも掘り下げられる人なのでしょうが、「単行本化されたカメラ雑誌の連載記事」という出自が、それを赦してくれなかったのかな…..。半ば同情せざるを得ませんでした。

しかし、その同情も束の間、最後の章でコンパクトカメラに触れ、「T3とGR21とTC-1を持っている」というくだりを目にしたときは、ほとんど●意を憶えました。どれもこれも、私の持っていない機械だったからです。3台のうち1台がGR1vであれば、どれほど救われたことでしょう。

さらに深刻だったのは、購入後、たった3時間で読了してしまったことでした。要は、それくらい、面白かったのです。

(つづく)

Oki0185

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