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どうにも解せぬ。

  • July 5th, 2006 (Wed) 19:40
  • 思惟

Oki0121

今に始まったことではありません。ここ数年、めっきり読書量が減りました。まとまった時間が取れないことも理由ですが、「なにを読んで良いのか判らない」というのが正直なところです。あるまじきことなのですが。

1年半近く、このブログを続けてきましたが、日々、ストックが目減りしていることを感じます。もちろん、これは「ネタが尽きた」というような、物理的な「量」の問題ではありません。

むしろ、多分にメンタルなものです。もともと、ひとりの人間の紡ぐ言葉ですから、当然、切口も視点も単調になりがちです。そこをなんとか相対化しようと努めるのですが、書き終えて眺めてみると、相も変わらぬ一本調子。「偏向」も、行き着くところまで偏りきってしまうと、我ながら、なんとも言えず興醒めです。

読書をしたり、音楽を聴いたり、映画を観たり、旅に出かけたりする理由は、自分の中に異物を取り込み、相対化し、視野や価値観を広げることにあるようです。

ところが、そこに本人も自覚しない「志向」があると、「視野を開いた」と思えたのは錯覚で、実はそれまでの自分自身を正当化し、自己確認しているだけになってしまうのです。

読んだ本、聴いた音楽、観た映画、旅先で見聞したこと……そのストーリーを再現しながら、書評めいたものを書くことが苦手です。なにより表現力の無いことが理由ですが、他人の褌で相撲を取っているような後ろめたさも拭えません。

かといって、私にオリジナルな言葉を極めようとするつもりは、さらにありません。そもそも、言葉自体は「借物」だと思っていますし、私ごときが書き得ることなど「とっくの昔に、どこかで誰かが言っているはず」という、妙な確信があるからです。

所詮はどうどうめぐりなのですが、少しずつ、その軌道をズラしたくなりました。小石ほどの隕石でも、ぶつかってきてくれないかなぁ……。

基本的には徹頭徹尾、他力本願です。ただ、少しずつでも本を読まねばならぬ気がしてきました。特に、今日(きょう)のように大きな事件が起きたときは、その因果と先を推論する「言葉」が必要です。

「なぜ、今なのか?」という、「タイミング」が不可解なのです。陸自の撤退にゴーサインが出て、今月中には帰国すると言われます。つい先頃、私的な厚遇を前面に押し出した首脳会談が済みました。大国の対等性をアピールしようとする国がホストのサミットは目前です。そしてなにより、「独立記念日を冒涜した」と言われるに決まっている日が選ばれました。

こんなふうに妄想が膨らむ日は、深く沈んでみるに限ります。

Oki0120

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