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血肉ある言葉(6)。

Mi0162

ここに、ひとつの劇薬があります。手に入れてから3年近く、しまい込んだままでした。忘れていたわけではありません。むしろ「敢えて無視した」と言ったほうが正確です。迂闊に近寄ると、たちまち依存症に陥ることは、火を見るよりも明らかでしたから。

最近になって、ようやく、手にとることにしました。およそ半分近くを服用したところです。もちろん、これは物理的な量のことであって、「効き目」のことを言ったのではありません。目に見える形で、その効能を体感できるときが来るのだろうか…..ほとんど、絶望的です。

「劇薬」とは、森山さんの『写真との対話』(青弓社)です。

私が拙い言葉をこねくり回してしまうより、森山さんの紡いだ言葉を、虚心に読んで頂く方が良いに違いありません。少し長くなりますが、引用します。

「ところで、毎日のようにカメラのファインダーを覗いている僕自身の感覚としては、現在(いま)、際限もなく繰りひろげられている日常の、実際の生起のさなかに身を置いて、気の遠くなるような無数の擦過の渦中に巻き込まれつづけていると、むしろ圧倒的な<答え>の海に漂っているようにしか思えなくて、<問い>という一本の藁をつかみがたいのである。いいかえれば、出口が見つからないのではなく、入口が見当たらないといった感じである。つまりそれは、現代という名の怪物の持つパラドックスであると言ってもいい。

しかし、これはあくまでも感覚としてであって、たとえひとつの問いかけが、たちどころに無数の答えの泡となって水底に消え去るとしても、やはり問わないわけにはいかないのである。」(p.46)

万年筆で一字一句を丹念になぞって行くと、たちまちページが真っ青になりそうです。あるいは、森山さんが身を削りながら問うた言葉の数々が、私にとっては「解」そのものに映ります。それはまるで、問題を解く前に、計算ドリルの解答集を手に入れた、夏休みの小学生と変わるところがありません。

幸いなことに、この3年の間、その誘惑を抑えることだけはできたようです。しかし、今回、書棚から取り出して、半分ほどを読み進めた結果、「私には、まだ早すぎた」というのが率直なところです。

身体が覚えるリアリティに辿り着くまでには、「問い」を鍛えつづけるしかありません。つまるところ、私にとっての「血肉ある言葉」とは、必ずしも「文字」の形をとっていなくても構わないのかもしれません。

生硬で冗長な話にお付き合い頂き、本当にありがとうございました。

(了)

Mi0161

(滞米中の写真も、ようやく今日で終わりました。さて、来週からは….。)

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