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血肉ある言葉(5)。

  • April 13th, 2006 (Thu) 21:59
  • 光画

Mi0149

「「技=身体の記憶」のデジタル化」とは、「脳」をスキャンして、その複製品を作るイメージに、限りなく近づいて行くような気がします。強靱な意志に基づいた、言葉と肉体との意図的な往還を繰り返さずとも、パッケージされた「知」をダウンロードしさえすれば、たいていの用が足りてしまうのか……。

そんなことをボンヤリ考えていたとき、梅田望夫さんの『ウェブ進化論』(ちくま新書)を読みました。個人的な感想はいろいろとあります。ただ、これまでは「シンプルな検索エンジン」としか思えなかったGoogleの凄さを知り得た点では、近年になく、考えさせられる新書でした。

ネットの中に膨張し続ける巨大な情報空間に、一定の秩序を与えようとすることがGoogleの戦略だとか。あのシンプルな画面の奥に、空恐ろしいほどの野望が潜んでいることに、しばし慄然とします。

不特定多数の参加者が無限に増殖する空間を、「性善説」で切り分けて、「玉石」の「玉」の抽出を容易にする「検索エンジンから自動秩序形成システム」への志向。

読み進めながら、可能性に満ち溢れる未来像を感じながらも、ある種の薄気味悪さを拭えませんでした。特定の思想に裏打ちされた、生身の人間による検閲は恐ろしいものです。しかし、「リンク数」や「閲覧数」など、機械がはじき出した数値による「検閲」も、もしかしたら、人間による検閲以上にタチが悪いのではないか….。

もっとも、これは単に、私がGoogleを使いこなせていないだけからかもしれません。また、Googleによって、なにか「得難い知」が得られたと感じるほどの成功体験も少ない方です(余談ですが、Googleを使うとき、ヒットした頁の数字の、大きい方から小さい方へ、前へ前へと手繰って行くのは、私だけでしょうか…..?)

仮にGoogleのような自動秩序形成システムが完成の域に近づく時代が来るとしても、気がかりなことがあります。それは、せいぜいキーワード程度の「問い」が、すべての情報への「入口」になってしまうことでしょうか。

つまり、ネットの中に形成される、秩序を持った情報空間が問題なのではなく、その「入口」の敷居の低さが気になるのです。

(つづく)

Mi0148

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