Home > 光画 > 血肉ある言葉(4)。

血肉ある言葉(4)。

  • April 11th, 2006 (Tue) 21:05
  • 光画

Mi0160

もちろん、だからと言って、「誰しも自分の宗教をもち、念仏を諳んじるべきだ」とか「一度は役者のマネゴトをした方が良い」と思っているわけではありません。また、同じ字面を、一斉に、しかも強制的に暗誦させられる薄気味悪さも、知っているつもりです。

また、一時期、流行した『声に出して読みたいナントカ』を信奉しているわけでもありません(もちろん、その類の本を手に取ったことさえないのですから、ハナから論評不能です)。

「想像」を育み、「創造」を促すツールとして、「言葉」が果たしていた役割が、「言葉」ならぬ「他の何か」に置き換わってきたのかな…..と思うことがあります。

経済的に豊かとは言えなかった時代、決して少なく無い庶民たちが、寺子屋を通して、難しい漢字や言葉、複雑な和算を享受していた(もちろん「苦役」でもあったでしょうが)と言われます。

翻って今の時代を眺めると、当時とは比較にならないほど高度なテクノロジーに囲まれ、経済的にも豊かになっています。そんな私たちが、かつて寺子屋で使われていた「教科書」を見て、判読できるかと問われれば、大人でさえ、ほとんど絶望的かもしれません。

数年前、最先端のテクノロジーと、伝統的な職人技とのコラボレーションをねらったシンポジウムがありました。決して自発的ではなく、行きがかり上、そのシンポを聴く機会に恵まれました。登壇者は、宮大工の小川三夫さんと、なにやら高度な技術を研究している学者さんでした。

その学者さんは、ウェアラブル・コンピュータを研究していると言うことでした。いかにも人の良さそうな、好奇心と探求心の固まりのような方でした。そのお話しによると、

1.今後、集積回路の性能は、ますます飛躍的に向上するだろう。

2.そうすれば、身体が記憶している膨大な情報を、わずか指先ほどのチップに保存することも可能になる。

3.たとえば、小川さんのような職人が、何十年とかけて会得した「技」のすべてをアーカイヴして、後世に残すことが可能になる。

4.しかも、そのチップを組み込んだウェアを身につければ、誰もが小川さんの職人技を再現できる。

ということでした。

学者さんに悪意のあるはずはありませんが、小川さんご本人を前に、そうした「アカルイミライ」を得意満面に話すことは、あるいは「非礼」ではないか…..? そう感じた私は、間違いなく文系です。

ただ、その学者さんの脳天気な未来に、まったく懐疑的なわけでもありません。100%は無理でも、部分的にはそのような未来が、いずれ訪れるのでしょう。また、文字でも口伝でも伝えきれない「技=身体の記憶」を、後世に残せるとすれば、それは確かに価値のあることなのかもしれません。

しかし、どうしても拭えないのは…..「だから、なんなのよ?」という問いでした。

(つづく)

Mi0163

Comments:1

散歩道 06-04-12 (Wed) 9:08

■marmotbabyさん、
そんな集積回路に「感性」「熟練」「物を創る楽しさ」「達成した悦び」、そんな物も集積されるなら私も欲しいです。

Comment Form
Remember personal info

Trackbacks:0

Trackback URL for this entry
http://memoranda.egoism.jp/blog/2006/04/%e8%a1%80%e8%82%89%e3%81%82%e3%82%8b%e8%a8%80%e8%91%89%ef%bc%88%ef%bc%94%ef%bc%89%e3%80%82.html/trackback
Listed below are links to weblogs that reference
血肉ある言葉(4)。 from memoranda

Home > 光画 > 血肉ある言葉(4)。

Spider
Recent Entries
Recent Comments
Archives
Categories
Now Playing
flickr Photostream
DSCF7851DSCF7849DSCF7848DSCF7846DSCF7844DSCF7840DSCF7839DSCF7853DSCF7833
TagClouds
Search
Feeds
Meta
Counter

Return to page top