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ゆるやかな断絶。

  • March 22nd, 2006 (Wed) 19:56
  • 光画

Mi0131

以前、『みおくり』という記事に書いたバスセンターに、この週末、行ってみました。ちょうど、実家に帰省しなければならない所要があり、そのついでに訪ねたのです。

とは言え、他の用事が立て込んでいたために、日暮れ間際の、ごく短時間の滞在…..「タッチして帰った」と言った方が正解です。

驚きました。ショックでした。まぶたの裏に、祖母の面影とともに焼き付いていた光景は、どこをどう探しても、在りませんでした。バスセンターの敷地が、そっくりそのまま、巨大な平屋のスーパーになっていたのです。

かつて、祖母が私を見送ってくれた、粗末なブロック塀の在った場所は、いまではスーパーの裏手になっていました。当時から在る隣家との挟間に、巨大な空調の室外機が、フェンスに囲われて鎮座していました。

辛うじて、当時の面影の残る箇所は、祖母の実家からバスセンターに向かうさいに通り抜けていた細い路地と、その先に伸びるコンクリート舗装の道路でした。廃業した鉄工所跡を利用した駐輪場は、跡形もなく消え去って、代わりにスーパーの駐車場になっていました。

さながら、浦島太郎の心地で、呆然と、夕暮れのその場所に立っていました。以前の光景を知らないカミさんには、さぞ詰まらない光景だったと思います。

記憶の中の光景と、眼前の光景との、あまりの落差の激しさに、しばらくは折り合いの付けられない心地でした。ただ、記憶が上書きされてしまうほどの衝撃だったにもかかわらず、いま、これを書きながらも思い浮かべてしまうのは、以前と変わらぬ、バスセンターの光景なのです。

そんな日の夜、ETV特集(NHK)の『木村伊兵衛の13万コマ −よみがえる昭和の記憶』を観ました。荒木経惟さんの繊細さに、心打たれました。また、川本三郎さんのコメントにも、写真の向こう側に在る「追憶」という名の「リアル」を呼び起こされる心地でした。

「記録」と「記憶」のあわいで、受け手の追憶を喚起する写真たち。これまで、いかに多くの無名の撮り手たちが、そうした光景を記録し続けていたのかを考えると、未だ世に現れぬそうした写真のひとつひとつが、なんとも愛おしく思えてなりません。

同時に、私たちの日常が、いかに「ゆるやかな断絶」に充ちたものか、改めて突き付けられた心地です。決して脅迫観念に囚われたわけではありませんが、少しずつでも記録して行こう、そう思うことが出来たのです。

それにしても、ETV特集を見ながら思ったことですが……やっぱり、36コマのコンタクトシートって、良いですよね。デジタルだと、こうは行かないのではないか、と(笑)。

Mi0133

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