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みおくり(5)。

  • February 26th, 2006 (Sun) 17:45
  • 昔話

Mi0106

幼稚園に通うようになると、さすがに祖母の家に預けられることは少なくなりました。なにより、当時、私たち家族が暮らしていた場所と、祖母の実家とは、鈍行列車で6時間もかかっていたのです。

年長組のとき、あとにも先にも一度きりの入院を経験したことがあります。風邪の治りかけ、調子に乗ってはしゃぎまわってこじらせてしまい、「泉熱」とやらに罹って、脳髄膜炎を起こしかけたのだそうです。

そのときのことは断片的に覚えています。病院に着いてから、背中に針を打ち込まれて髄液を取られました。お医者さんのお名前は忘れてしまいましたが、そのさい、「泣かない子はエライのだぞ」と励ましてくれました。子どもながらも覚悟を決めて、脂汗を垂らしながら、じっと痛みを堪えていました。そのときの針の痕は、いまも背骨の真上に残っています。

何日後か判りませんが、ふと意識が戻ったとき、眼の前に祖母がいました。そうして「ビックリして、飛んで来たがな」と言うのです。「飛んでくる」という言葉を、そのとき初めて聞いたのでした。その意味が判らなかった私は、素直に「おばあちゃんは飛べるのか。」と、虚ろな頭で思った憶えがあります。

祖母が亡くなったのは、いまから7年前、1999年のことです。カミさんと結婚して1年半後のことでした。身内だけのささやかな式に、祖母は元気で来てくれて、心のこもったスピーチをしてくれました。その後、私たちの暮らす土地に、母とともに遊びに来てくれたこともありました。

しかし、1999年の春を過ぎたあたりから体調を崩し、夏の盛りを迎えるのを期に、入院することになりました。本人には知らせていなかったのですが、とても正月は迎えられないだろう、という状態でした。

9月15日、敬老の日の休日を利用して、カミさんと2人で見舞いに行きました。もしかすると、最後の機会になるかもしれない、と母や叔父に言われていたからです。

しかし、病室を訪ねてみると、そんな話が嘘に思えるくらい、祖母はかくしゃくとしていました。身体を起こしてベッドの上に座り、まずはカミさんに向かって、「手間をかけて悪かったねぇ」と、ねぎらいの言葉をかけました。そうして私の方を向いて、「はようしてくれんと、間に合わんがな。」と言います。曾孫のことです。

「長生きしてもらいたいから、作らんのだ。」という意味のことを言ったと思います。そうして手を握ると、薬のせいかとても冷え切っていました。足も冷たいと言うので、さすってみました。「血が回っとらんのじゃないのか?」などと冗談を言いながら、暖まるまで、一生懸命にさすっていました。

休日とは言え、孫夫婦がわざわざ遠方からやって来たことに、おそらく祖母は不審の念を抱いたでしょう。「間違いなく、気がついているはずだ」とは叔父の見方でしたが、祖母は決して、それについて訊くことは無かったと言います。

仕事の都合で、私はとんぼ返りせざるを得ませんでした。「亡くなった」という報せを聞いたのは、それから4日後の夕方でした。

仕方のないこととは言え、私は「飛んで行く」ことができなかったのです。

(つづく)

Mi0114

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