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小さな器。

Mi0027

何かを批判するならば、その対象について誰よりも詳しくなければなりません。その知識も無いくせに、苦情だけを陳列するのは、おそらく「ピンポン・ダッシュ」ほどの嫌がらせにもならないでしょう。

昨日のエントリーを書き終えた後、例の事件の展開がありました。昔の私ならテレビにかじりついて観たはずですが、昨日はどうも様子が違いました。チャンネルを合わせ、テレビの前に釘付けされること自体、「文句を言いながら、その実、最も熱心な視聴者のひとり」に私自身が堕してしまう気がしたのです。

間違いなく、今回のことは、私の人生になんの影響も及ぼさない。また今回の事件で私が気分を害したところで、それは社会のなかで芥子粒ほどの大きさも無い。端的に言えば「シラけていた」わけですが、さしたるストレスも無くそうした気分に移行できたのは珍しいことでした。

で、何をはじめたのかというと、自室で部屋の片付けをしていたのでした。もちろん、暗室を作るための下準備です。「公憤」を偽装した守旧派連中の「道徳的」な物言いにうっかり付き合わされるより、私的な暮らしの充実のためにこそ、私の貴重な時間を使うべきだ、と。

以前のエントリーにも書いたとおり、「スペースを確保するためのスペースづくり」が必要です。とは言え、夜間のことですから、大きな音を出すわけには行きません(ウチは30世帯が暮らす1棟建ての集合住宅、その最上階です)。

なので、さしあたり書棚の配列を見直して、要らない本や雑誌類をそぉーっと整理していたのでした。おかげで、これまで段ボールに収めていた森山さんの著書や写真集が整然と書棚に並び、いつでも取り出せるようになりました。満足。

なにごとも一気呵成に片付けないと気の済まないタチなのですが、最近は加齢のせいか、細切れの時間を使うようになっています。物理的にまとまった時間を取りにくいことも理由ですが、そのたび「ぼちぼち、すりゃあぁええ」という祖父の口癖を心の中で復唱しています。

夜の9時過ぎから始めて、気が付いたときには午前1時を回っていました。どのチャンネルも、ニュース番組は終わっていて、なかには放送終了している局もありました。「やれやれ、あぁ良かった」….と妙にホッとしてみたり、ひとり静かに「ざまーみろ」と溜飲を下げてみたり。

いずれにしても、器が小さいことは間違いありません。ちっちゃ!

Mi0043

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