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繋がっているもの(5)

  • December 6th, 2005 (Tue) 18:45
  • 思惟

Hirosaki0018

異国に暮らした経験のある方なら、一度くらい、「自分は「不審な外国人」に見られているのではないか?」と自問したことは無いでしょうか。

パスポートだけでは不安なので、「自分が何者か」を「証明」する書類を、常に携帯していたことは無いでしょうか。場合によっては「証明書が本物であることを証明する書類」を持ち歩いていたこともあります。単に臆病なだけですが、かつて1年を暮らしたとき、最初の1ヶ月は異国での所在なさを思い知らされる毎日でした。

多くの人が車で往来する冬場、お世辞にも上品とは言えない格好で歩道を歩かなければならないとき、いつ職務質問されても良いように構えていました。手帳には知り合いの電話番号をすべて記入していました。いったん疑いがかけられれば、書類の確認だけで放免してもらえるとは思えず、もっとも雄弁なのは仕事を同じくする現地の友人だろうと思っていたからです。

広島の事件をメディアがどのように伝えるのか、それとなく眺めていました。「不審な外国人」のラベルが踊り、地域住民の「警察化」と「心のケア」が伝えられました。いちどは外国人労働者とそのコミュニティにシンパシーを寄せて見せましたが、そこを掘り下げることもなく、「詰まるところ、個人の性癖」の問題に収斂して行くようです。

「人を殺めるのに、日本人も外国人も無い」ことは確かですが、肝心の問題は棚上げされた気がします。事細かに「表層」を伝え、母国の家族までブラウン管に引きずり出し、そのための膨大な時間を費やした挙げ句、「社会的な背景を理解することが大切だ」としたり顔で言われても、そこには一片の説得力もありません。

地域住民の「警察化」は、この土地でも流行っています。同じTシャツやジャンパーを作って街中を闊歩し、宅配便やタクシー業者と連携して「パトロール実施中」のステッカーを貼って行く。都市化と郊外化の象徴であり、匿名の市民のためのコンビニは、いまや顔の見える「駆け込み寺」として、少しだけ地域に受け入れられようとしています。

ボランタリズムを呼び起こし、これまで「地域」に無関心であった人々を繋げ、そこにより良いかかわりを築けるなら、「警察化」にも一定の効果はあるでしょう。また、なにもせずに抑止力が期待できるほど、安穏としていられないことも事実です。

ただ、このように「仮想敵」を積極的に再生産する戦略(それは自集団を結束させるのにもっとも効率の良い戦略なのですが)は、コミュニティを積極的に「閉じる」戦略のようにも思えます。そして閉じたコミュニティの内部では、圧倒的に正し過ぎる価値観に対して「従わない者はとんでもないヤツである」という、感情的な不満が渦巻くことになります。

仮に私が「異国人」としてこうした「コミュニティ」に暮らしたとすれば、不審の念を取り除くために、他の人よりも率先して「警察化」していたかも知れません。あるいは、居心地の悪さに耐えかねて、多くの同胞を「隣人」にしうる土地へと移動したかも知れません。どちらにも共通しているのは、あるがままに在る私を、背景の異なる人々に受け入れてもらう積極的な努力を諦めるという選択です。

(つづく)

Hirosaki0009

Comments:3

complex_cat 05-12-06 (Tue) 19:13

恐るべきことに,幼女殺人は,既に栃木の事件にウェイトが移りつつありますね。かの広島の事件の容疑者は,既に幼女への犯罪の常習者で,不正に入国した犯罪者であったことが明らかになりつつあり,そのことも複雑です。
 私が,海外で,パスポート代わりに見せるのは,家族の写真です。その人間がどの様に家族や友人を愛して暮らしているかを見せることが,相手に同じ情緒を持った人類だと理解させ短期間で親しくなるのには,とても役に立ちます。因みに,海外でどの様な顔をして歩けばいいのか迷ったときは,この惑星に棲む「地球人」の一人だという顔をしているつもりですが,これは十分に怪しい異邦人に見えているかと思います。

mimi 05-12-06 (Tue) 23:15

こういう事件がおきるたびに心が痛みます。弱者あるいは弱者と思い込んでいる人物の心のはけ口がより弱者への暴力的な行為におよんでいるのでしょうか?

 ストリートフォトにもこの影響が出ています。繁華街ならともかく郊外や小さな町や奈良県では実際に事件が起こったこともあり観光地から外れると不愉快なことも時々あります。平日の昼間にウロウロしている人物は充分怪しい闖入者でしょうね。すれ違う人には挨拶を欠かさず不審人物ではないことをアピールしています。(まるで笑い話のようですが)撮ってるものが撮ってるものですから一般の人には変な人に見えるのでしょう。(笑)おまわりさんに職質されたり近所の人に何をしているのか?と聞かれるほうがましです。少し離れたところからじっと見られていると犯罪者になった気分です。

marmotbaby 05-12-07 (Wed) 20:47

>C_Cさん
おっしゃるとおりですね。いつもながらメディアの節操の無さには辟易します。地域住民への「被害」を増幅させていることに対して、「報道の自由」を振りかざせばすべて不問に付される現状は、いったいいつまで続くのでしょう。
すれ違うとき、欧米の人がアカの他人に見せる微笑み、あるいは仕事関係の出張で家族を同伴すること、これらは、あるいは積極的な「無罪証明」なのかも知れませんね。

>mimiさん
カメラを持って街を徘徊することが、すでに立派な「犯罪」である。哀しいことに、これは既にこの国の現実です。肖像権とか表現の自由といった「法」の俎板にのぼる以前に、我々市民がそのような目で視ることを「感情」として共有してしまったわけですから。撮った写真がどれほど優れたものであれ、「アマチュア」という身分は、火に油を注ぐことしかあり得ません。
なので私は「誰の者でもない何か」、「誰からも等距離にある何か」もしくは「「みんな」のものであって「誰か」のものではない何か」を探してレンズを向けようとしています。

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