Home > 思惟 > 続 「働く」ということ。

続 「働く」ということ。

  • September 9th, 2005 (Fri) 16:44
  • 思惟

Pen0055 1

このblogを続けている中で、常にある種の「うしろめたさ」がつきまといます。それは「要するに、私はヒマなのか?」ということです。

それは、単に時間的なことだけを言うのではありません。「写真ブログ」という性質上、その運営に必要な機材に触れることがありますが、それは要するに我が身の経済的な「ゆとり」さえ「披瀝」することになるわけです。

私が「高等遊民」「有閑階級」などと自称しようものなら、さほど変わらぬ台所事情の同僚各氏が、一斉にヘソで茶を沸かすことでしょう。ただ、決して安くは無い機械を操り、blogに向き合える時間のある暮らしをしているのですから、これを「恵まれていない」と言えば、きっと罰が当たります。

幸い、私自身は仕事が好きです。自分が考え、想像をめぐらせ、構想したものを現実に移し、そのアウトプットが一定程度、他人様から評価される、そのサイクルが、決して平坦では無いにせよ、否、平坦では無いからこそ得られる充実感は、なにものにも代え難い。

ただ、ときどき、ふと思います。所詮、残るのは「組織」であって、個人では無いだろう、と。誰しも、母校を訪ね、そこに微塵も自分の残り香の無いことに、慄然としたことは無いでしょうか。

全体から観れば、いつでも置き換え可能なように、世の中は出来上がっています。その人材供給の最たる機関が学校でしょう。また、立ち行かない経済をソフトランディングさせるため、正社員を減らして積極的にパートに置き換える現実や、まるで人減らしのキャンペーンにも思える「不祥事」の報道などは、まるで「「あなた」では無い「誰か」に、いつでも置き換え可能だよ」と言っているかのようです。

そんなことに嫌気が差し、しかし、端から見ればとてもうすっぺらな「世界」の住人に自閉し、そのことが全体のあらゆる「層」で生じているとすれば、それ自体が「息苦しさ」の主因なのかもしれません。

今回の選挙が、将来に何をもたらすのか、まったく判りません。もとより、いままでだって判っていた試しはありませんから、選挙とはそのようなものなのだと考えることもできます。

ただ、そうした「政治」とは無関係なところで、密やかに、しかし確実に「働くこと」への意識は大きく変わりつつあるのかもしれません。「組織」のためではなく、ましてや「自分」のためかどうかも判然とせず、その折々の自分を満たし、バランスを保つための、対象不明な「献身」。

もっとも、「働く」とは、そもそも、そのようなことだったのかもしれません。

(了)

Pen0056

Comments:1

River Of No Return 05-09-09 (Fri) 23:17

ヘビーブロガーは大忙し

Leica MP Summicron 35mm f2 (6elements) 「memoranda」のmarmotbabyさんも仕事とブログ管理の関係を言…

Comment Form
Remember personal info

Trackbacks:0

Trackback URL for this entry
http://memoranda.egoism.jp/blog/2005/09/%e7%b6%9a-%e3%80%8c%e5%83%8d%e3%81%8f%e3%80%8d%e3%81%a8%e3%81%84%e3%81%86%e3%81%93%e3%81%a8%e3%80%82.html/trackback
Listed below are links to weblogs that reference
続 「働く」ということ。 from memoranda

Home > 思惟 > 続 「働く」ということ。

Spider
Recent Entries
Recent Comments
Archives
Categories
Now Playing
flickr Photostream
DSCF7851DSCF7849DSCF7848DSCF7846DSCF7844DSCF7840DSCF7839DSCF7853DSCF7833
TagClouds
Search
Feeds
Meta
Counter

Return to page top