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ノートパソコンを脇に置く。

学生時代、卒業論文には、手書き派とワープロ専用機派とパソコン派が入り乱れていました。手書き派は、すでに圧倒的な少数派で、ほとんど虫の息でした。もっとも、手書きにこだわる友人の多くは、鼻息の荒い連中でしたが。

当時の私は、同級生の女の子が持っていたNECの「文豪mini7」という機種に憧れていました。ついでに言うと、その女の子にも憧れていました。むろん、その女の子の使う機種だから、その機械を好んだわけではありません。たぶん。

いま思うと、まるで電動ミシンのような筐体ですが、「これさえあれば、きっと快適に、しかも良い論文が書けるに違いない」と思えたのです。とはいえ、学生の身分でそんな高価な買い物ができるはずもなく、結局、研究室のパソコンで卒論を仕上げました。一太郎Ver.3、3.5inch FDD、”MS-DOS”を「えむえす、どす…。」と「京なまり」で笑えた時代です。

周りでは、「下宿」よりもワンルームマンションが普及し始めていました。多くの友人が「ユニット・バス」の不合理に、それでも「これがトレンディなのだ」と言い聞かせながら、その狭さに堪えていました。留守番電話を付けたは良いが「0件です」と無邪気かつ残酷な宣告に人生の無常を覚え、哲学を志した友人もいたはずです。幸い、私自身はお金がありませんでしたから、当時「1畳あたり2,000円」の四畳半一間に暮らし、銭湯に通い(早めに行くと日本浮世絵大会開催中)、洗剤と柔軟剤の区別も付かずにコインランドリーで洗濯をし、電話も大家さんの生声による呼び出しという状態でした。それでも「勝ち組」「負け組」というラベルなど無い時代でした。大学に行かなくなっても、「五月病の長いやつ」と言えば「そういうこともあるだろう」と納得された時代です。

話しがずいぶん、逸れました。

モノを書くのにパソコンやワープロが必要だと錯覚し始めていた時代でした。機械が演出するエレガントさに、心惹かれない方が嘘でしょう。ただ、個人的にいちばん困ったのは、圧倒的なスペースを占有してしまう、その図体のデカさでした。文豪mini7の美しさも、それが単体としてあればの話しです。未だにデスクトップよりノートパソコンが好きな理由も、できるだけ占有面積を減らしたいからです。

ところが最近、たかだかPB4のスペースですら、デカいと思うようになりました。試みにPB4を脇に寄せ、ノートと鉛筆だけの環境にしたところ、これがなんとも快適でした。なにより、手先の移動や視線移動の自由度が高まります。また、あとで思考の流れをトレースしても、拡散しつつ集中する、集中しつつ拡散する、身体と心がほどよく身動きしてくれる、あるいは、ちゃんと脳味噌に汗をかいたような気がします。モニターを前にすると、確かに集中しているのですが、どこかに前頭葉を置き忘れたような浮遊感と、膜をかけられたような鬱陶しさを感覚することがあります。

ワープロvs手書きなどという古典的な議論を持ち出すのではありません。ハッキリしていることは、「どちらか」ではなく、どちらとも、ほどよく付き合わざるをえない、そんな世代に生きているということでしょうか。

Comments:8

complex_cat 05-02-25 (Fri) 21:23

うーむ,今回のも,楽しい話ですね。父親は文学青年崩れで,太宰研究等で飯を食うことを夢見ながら,私たちを食べさせるために教職を選んだ人間ですが,複数の小説家におけるワープロを使用する前の文体と,それ以降の文体の比較論を考えておりました。何か解析のヒントはかなり思いついていたようです。
 絶対文章か或いはなにかが変わる部分があるような気がしますね。まぁ使用方法は人によって違うでしょうし,そもそも未だにワープロを使わない方も多ですし,明確にいつから使っているかというデータが得られる相手が必要です。また,面白い話が出てくるかどうか,サンプル次第と云うところもあると思います。
 ちなみに,父が購入して,使いこなすことを中途で諦めたのがmini7という話で,これ,本当です。ディスクを入れたまま起動させるとディスクが壊れるという仕様の癖に,簡易マニュアルには書いてなかった時代の話です。

marmotbaby 05-02-26 (Sat) 11:21

C_Cさん、返信、遅くなってすみません。
良いお父様をお持ちですね。またきっと、mini7の「実務機」然としたソリッドな感じが、お父様を惹きつけたのだと思いますよ。

「文体の変化」ですが、安部公房は「万年筆と100%同じだよ」と言っています。
ワープロも万年筆も、書く手段に過ぎず、それは最後の表現形態としての「活字」に呑み込まれる。だから、画家の使った画材やそのマチエールが鑑賞対象となるのとは根本的に違い、読者が読むのは筆記用具でも書体でもなく、文体である。文体とは筆者の思考の構造に他ならず、作品を決定づけるのは才能でしかない。

「「ワープロで打った文章には魂がこもらない」という意見があるって? 馬鹿な。万年筆からだけ出てくる「魂」なんて、ずいぶん軽薄な「魂」もあったもんだよ」(『ASAHIパソコン』1991年1月1日・15日合併号 P.17)

とまで言い切っています。

当時の私は、この姿勢に拍手喝采だったのですが、ワープロを使用することによる文体の変化、ないし思考の変化に、安部自身がどの程度、自覚的だったかは判りません。
ただ、晩年までメモカードが手放せず、また手書きのプロットをちりばめたコルクボードを常用していたところをみると、「機械の限界」も、経験的に知り尽くしていたのでしょう。

事実、同じ記事の中で、

「手段はなるべく簡素で、使用感が希薄なほうがいい。」
「僕の場合なんか、スピードはいらない。指の動き以上の速度で思考するなんてこと、ありえないからね。」
「ワープロ使ったからって、書く効率が上がるわけじゃないな。僕はますます遅くなってきた。ある程度、手段の労力から解放されて、その分、考える方に時間を使ってしまうのかな。」

と言っています。マニュアルカメラに通じるものを感じます。

いずれにせよ、パソコンやインターネットが普及する以前に、安部は他界してしまいました。オウムや阪神大震災や9.11を観ていたら、いったい、なにを語ったのだろう、と興味はつきません。

実は最近、私自身は、万年筆が「実用品」であることに気づきました。それについては、また、稿を改めて。

complex_cat 05-02-26 (Sat) 23:49

更に深く,楽しい返信を有り難うございます。なんか,良い店を一人で独占しているようですが,また来ますね。

dimitri 05-02-27 (Sun) 7:51

great images! i love the polaroids. did you convert them to black & white or is there an actual black & white polaroid film? i also voted you as one of my favorites at photoblogs.org!
great stuff!

marmotbaby 05-02-27 (Sun) 10:21

Dear Dimitri

Thank you for your kind message!
I don’t have any B/W polaroid films. As you may know, the film was already discontinuance, so I use 600 film mostly. I know it is not so good but I enjoy to convert them to B/W.

I visited your photo site and added my favorites at photoblog.org. I was very surprised you have so many fans, but I have understood the reason at once! I love your church series! It was so impressive for me.
I apologize you all of my text written in Japanese, but please enjoy my photos, and if you can, please use Google’s translation tool.
I appreciate for your concern, again.

marmotbaby 05-02-27 (Sun) 10:33

C_Cさん、いつもありがとうございます。
過分なコメント、恐縮しています。とはいえ、素直に喜んでいます。続けることの喜びを感じています。C_Cさんのコメントのおかげで、当初、削っていた安部公房のことを書くこともできましたし…。
良い書き手となることと、良いオーディエンスになることとは、切っても切り離せないですね。1ヶ月続けてみて、そのことが良く判りました。これからもよろしくお願いします。

みお 05-03-01 (Tue) 0:10

http://www.art-photo.com/apf/index.html
にC_Cさんが書いてくださったので参りました。

文体論や文章を書く道具としての意見を興味深く読ませていただきました。

私は発想の道具という意味でも両者に違いがあるような気がしています。紙の上で自由連想するKJ法とパソコンの上で思いを巡らすのは、やはり違うような気がします。インスピレーションというKJ法のためにあるソフトも使ってみましたが、インスピレーションといわないまでもひょんな思いつきは紙の上で遊んでいるときに出てくることが多いように感じています。

文章を書く道具という意味では万年筆もワープロも同じですけれど、万年筆で落書きを書いているときは妄想が浮かんでくることがあるんです。その妄想が、新しいアイデアにつながってきたりして、乱数発生装置という意味では万年筆なんです。妄想を生み出す作業とそれを体系的に組み立てる作業に分けて考えるなら、後者は何を使っても大して変わらないような気がしています。以上は、たぶんに個人的な意見です。いずれにしてもおっしゃるように両方を用途によって使い分けざるを得ない時代なのでしょう。

marmotbaby 05-03-01 (Tue) 9:35

みおさん、はじめまして。わざわざお出で頂き、ありがとうございました。

「意見」と言うほど、大袈裟ではなく、たぶんに感覚的なものでしかないのですが、パソコンと万年筆とでは、やはり脳の使い方が違うのかもしれませんね。

・パソコン→使わずとも良い脳まで使っている。
・万 年 筆→使うべき脳だけを使っている。

と言ったところでしょうか。

それにしても、みおさんの写真、綺麗ですよね….。クオリティの高さは無論ですが、いろんな「実験」がちりばめられていることに驚嘆します。今後ともよろしくお願いします。

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