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理不尽(11)。

  • June 13th, 2011 (Mon)
  • 家族

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葬祭場の担当者と打ち合わせに入ったのは、午前9時を過ぎてからでした。前日にあらましは決めていたつもりでも、時間が迫るに連れ、細部を詰めなければならないことが様々に判ってきました。盛籠や生花に添える芳名にしても、一枚の板に夫婦の連名で出すのか、それとも戸主の名前だけで良いのか、ひとつひとつ意向を確認する必要があり、わずかばかりの家族葬とは言え、それなりに気を遣わざるを得ないのでした。

理不尽(10)。

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JRの駅から海側へと、市内を縦に貫く20kmほどの幹線道路があります。その中程から少し東の山側に逸れ、車一台がやっと通る坂道の突き当たりに、私の実家があります。「幹線道路」だったのは、昭和の終わり頃まででしょうか。未だにパス路線ではあるのですが、もともと湾曲した旧道を直線で繋ぐように、片側二車線の新道が出来て以来、多くの車はそちらを流れるようになりました。

理不尽(9)。

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葬祭場に入ってから、その初日をどのように終えたのか…..長い長い一日だったはずなのに、今となってはその記憶も断片的で曖昧です。なにしろ、昼食と夕食をどのように摂ったのか、まるで憶えていません。「そう言えば、どこで寝たんだっけ…..?」とカミさんに訊ねてみると、両親は祖母とともに葬祭場に泊まり、私は実家に戻って、そこで独りで寝たようでした。言われてみると、確かにそのとおりでした。

理不尽(8)。

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祖母がホームに入ってから今日に至るまでの数年間は、私にとって最も仕事が面白く、職場の同僚にも恵まれた日々でした。そのため、祖母に会うのも盆暮に帰省した折り、それも非常に短時間、顔を見る程度でしかありませんでした。認知症が進む以前、つまり未だ頭脳がハッキリとしていた頃、祖母は別れ際に涙をこぼすことが多々ありました。そんな目に遭わせることが辛くて、ホームを訪ねる前後はいつも苦い思いがしていました。

理不尽(7)。

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祖母の亡骸と父を乗せたワゴン車を見送った後、私は母を乗せて葬祭場に向かうことにしました。祖母を送り出した病院の出口は東側を向いていました。そこから建物の左手をコの字に迂回したところに、ホームと病院との間に挟まれた、共有の駐車スペースがありました。母はいつものように後部座席の左側に座りました。私はフロントガラス越しにホームを見ながら、未だ祖母の不在がピンと来ていない自分に気付きました。

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